緋山酔恭「山水石美術館」 西美濃 金生山 更紗石・更紗花瓶


西美濃 更紗石




更紗とは、インド起源の紋様染めで

木綿または絹の地に、花鳥や幾何的模様などを染めたものです


日本では、インド更紗、ジャワ更紗、ペルシャ更紗(イラン)

シャム更紗(タイ)、和更紗、ロシア更紗

オランダ更紗、イギリス更紗、ドイツ更紗

ジューイ更紗(パリ郊外のジューイ村に由来。フランス更紗ともいう)

などと産地で分けて呼びます


なお、現代に伝わるインド更紗は、おおむね16世紀以降のものとされます





インド更紗  転写





ジャワ更紗  転写





ペルシャ更紗  転写





フランス更紗  転写





ロシア更紗  転写





江戸更紗  転写




英語では、chintz(チンツ)に相当し

チンツの語源として有力だったのが

サンスクリット語(梵語)のchitraで

「多彩な」という意味があります


しかし、最近では、インド土着言語のchitta(斑点模様の布)

が語源であるという説が有力になっています



日本語の「さらさ」の語源については諸説あります


当時、インド西海岸の要港であったスラート(Sulat)が転訛したもの


ジャワ語のsrasah、ポルトガル語のsarassa, saras

スペイン語のsarazaなどからきたなもの

などといった説です


そのなかで最も支持されているのが

インドで16世紀末に極上の多彩な木綿布をさした

saraso, sarassesの語が

日本に入ったというものだそうです



また「更紗」という漢字表記が定着するのは江戸時代末期のことで

それ以前には「佐良佐」「紗良紗」などさまざまに表記されていたそうです






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桐生川(群馬県)の「更紗石」



およそ5.5㎏


この石は、茨城県結城市の株木さんという水石業者からいただきました

株木さんというかたは、業者に卸す業者さんでもあり

水石の世界では、名の知られたかたです


もう80歳ちかいかたですが

業者の人みなが、口を揃えて

株木さんの人のよさを語るくらい親切なかたです



関東、東北、新潟あたりの拾い屋さんから

株木さんのもとに石がもちこまれるわけですから

岩手の久慈川の石  福島の伊南川・只見川の石  新潟の八海山や仙見川石

茨城の久慈川や鬼怒川の石  群馬の渡良瀬川や桐生川の石

あたりは専門です





昭和30年の後半から40年代に水石ブームがおこる

一般の人も石を買いました

ただ一般の人はブームにのって買っているだけで

石のことはよくわかりません


石屋さんも「なんでも売れる」というので

水石に似せた加工石をつくり、一般素人に売りまくりました

蛇紋岩やわけのわからない石を加工し、山形にして売ったわけです


そうした加工石は、ブームが去り

本当に石の好きな人だけが残ると

ほとんど価値のないものになってしまいました

とくに都心部では住宅事情の変化もあり、処分にこまるものとなっています



また、水石や美石ブームのときには、各地で様々な石が発見され

広く知られるようになり

これらの石は、地元の愛石家によって熱狂的に採取されたようです


ただ、もともとそんなにたいした石ではなかったものも多く

ブームがさると、見向きもされなくなった石もかなりあります




この桐生の更紗石を一見したとき

「桐生の更紗石というのは、たいした石ではないな・・・」

「ブームがさったあと、見向きもされなくなった石だろう」

と感じました



なぜなら桐生の更紗石は、チャートであり

チャートは一般的に

佐渡の赤玉などのジャスパーと比べると

色味に魅力がないのです


土岐石(ときいし)の場合

ウッディージャスパーである本土岐に対し

チャートは、ニセモノ扱いされるほどです




とはいえ、この(上の写真の)更紗をよくみると

絵柄がよく、石にもふくらみがあり

これはこれで、味わいがある石です





なおチャートの最上質として

観賞石となっているのが、紅加茂石です




およそ36㎏




また、このような↓色味のよい桐生川更紗も入手しました




桐生川(朝日沢産) 赤更紗石 8.5㎏




桐生川更紗の色というか

チャートの赤としては

最上級でしょう


暗い赤、明るい赤、紫を含み

赤は、暗い赤も茶赤などでなく

綺麗です


また、ジャスパーとは違った独特の色調をしています


この石だと紅加茂以上に色味がよく

石のブームに必死になって、探石されたのがうなづけます





じつはチャートも、ジャスパーほどの硬度をもちます

そもそも、チャートとは堆積岩の一種で

主成分は水晶、メノウ、ジャスパー同様の石英です

この成分を持つ放散虫・海綿動物などの動物の殻や

骨片(微化石)が海底に堆積してできた岩石と言われています





群馬県桐生市梅田町の「梅田ふるさとセンター」には、地元の石として

桐生川の更紗石と、渡良瀬川の桜石が展示されています





(写真は転写)




(写真は転写)

この石は、桐生更紗の特徴である白い脈線の混じり方が

とてもいいです






(写真は転写)



日本地質学会の 藤井 光男氏 の説明書きがあり


桐生川の「サラサ石」は、その模様が織物の更紗(さらさ)に似ている
        
ということで付けられた名前ですが、岩質からいえばチャートです

本来チャートは、微生物が海底に堆積してつくられます

しかし「サラサ石」は、普通のチャートと大分異なっています

「サラサ石」は、いつ頃どのようにしてできたのか謎となっています

想像するに、今から2億年前頃に地下の深部で

チャートが何らかの熱を受けてつくられたものと思われます

なぜ他の色でなく、赤と白の「サラサ石」なのか全くの謎です


とあります


群馬県桐生市は「織物の町」として有名で

それを象徴するのにふさわしい石なわけです






なお、ネットで、桐生川の更紗石を調べると

岩石としての名前は、チャートである

赤は、酸化鉄を含むからで白い脈は、不純物が少ない部分である

海底に堆積したものが、地殻変動を受けて

縞が乱れて景色になったものである

同じ赤でも、明るい赤から、黒に近い赤まである

とありました




それから、さらに、栃木市在住の石川さんより

旗川(はたがわ)産の更紗石をいただきました


白い脈線の混じり方に特徴をもつ

更紗石らしい更紗石です






横24×高さ(台なし)16.5×奥11  6㎏弱




渡良瀬川系統の更紗を専門的に拾ってきた

石川さんのお話によると



関東の更紗石と言えば


渡良瀬川(利根川水系)の支流

桐生川の更紗が、有名ですが


他にも

思川(おもいがわ・渡良瀬川の支流)

荒井川〔思川の支流の大芦川(おおあしがわ)のさらに支流〕

小俣川(おまたがわ・渡良瀬川の支流)

旗川(はたがわ・渡良瀬川の支流)

といった渡良瀬川系統の河川で採れるそうです



各河川うち

栃木県佐野市田沼の旗川(はたがわ)のものが

赤(茶赤ではあるが)が綺麗で

赤(朱色に近い)の線も入り

最も美しいとのことです



詳しくは、桐生川の更紗石と赤石 参照






じつは、美濃の更紗石を知るきっかけとなったのが

この桐生の更紗石です


「美濃にも更紗石があるんだ」と知ったのです




美濃の更紗の原石  転写




その後


花瓶に使う石を見立て

花瓶職人の長谷川さんに供給している 清水さんという

墓石専門の石材屋さんと知り合いました


かつては花瓶になる更紗や化石を探すのに、山をかけずり回っていたそうで

金生山は「庭」同然と語ります


そんなことから、素敵なコレクションができたわけです



なお「銘」は「織錦」「黎明」以外は、清水さんによる命名です








銘「隠れ猫」




直径17.5×高さ15.5  およそ4.5㎏











この花瓶は、素晴らしいとしか他に表現しようがないですね

色調が最高な上に、猫までいるわけですから















銘「織錦」
(あやにしき)




直径17.5×高さ33.5  およそ6㎏















私も色々と美石を収集してきましたが

このモザイク五色には衝撃をうけました

このような石は、他の美石で

みたことがなかったからです










銘「桜花」




直径16×高さ18  およそ4.5㎏









この石は、紅が薄いのですが

このくらいの紅のものでも現在はなかなか入手できなくなっています


桜更紗とでも呼ぶべきでしょうか

このような薄紅の更紗もオシャレですよね










銘「蓮」




直径19×高さ16  およそ4.5㎏








この石も、桜更紗です


清水さんによると

「紅孔雀のような赤い更紗はすでに出ているものしかなく

≪桜花≫や≪蓮≫程度の紅でも原石を持っているのは

おそらく私だけだと思います」とのことです











銘「黒舞」




直径20×高さ15.5  およそ4.5㎏













表銘「赤龍」  裏銘「黎明」




直径17×高さ31  およそ7㎏弱




表銘「赤龍





裏銘「黎明」









銘「紅雀」
(べにすずめ)




直径16.5×高さ18  4236g











銘「伊邪那岐」
(いざなぎ)




直径17×高さ14.5  3962g


胸のあたりに白い鳥のような飾りがついています












銘「伊邪那美」
(いざなみ)




直径17×高さ14  3401g


伊邪那岐と同じ母岩から作ったもので

伊邪那岐には白い鳥の形があるのに対し

こちらは、胸のあたりに赤茶の鳥のような飾りがついています



2つの花瓶で、つがいで楽しめます












銘「白菊」




直径13×高さ23  3723g




裏にはおろちが鎮座しています


裏の銘「地神」









銘「朱鷺」
(とき)







直径12.5×高さ15.5  2664g




紅更紗が、深紅であるのに対し

この石は朱鷺色で

とてもキレイです


次に紹介する「鳳凰」と同じ層から採れた石です


この更紗(朱鷺色~紅梅色)の出た層は

採取直後に失われたそうです
















銘「鳳凰」




直径17.5×高さ17  およそ4㎏




















この「鳳凰」の原料となった

≪紅梅色の紅更≫は

清水さんが、前から出る場所に目をつけていて

やっと、工場の許可が出て

長谷川さんと現場(石灰採掘現場となっている)に入ったそうです


しかも帰った後間もなく、残りの原石は

全て粉砕されてしまったといいます

なので花瓶は数個しかなく

そのなかで「朱鷺」と「鳳凰」は最高のものなわけです


また、80歳に手が届くご年齢の清水さんが

私のためにわざわざ採ってきてくれた石です

重みが違うんです


≪紅梅色の紅更≫は

紅更紗とはまた違った味わい、上品さがあります





美濃の更紗石は、多色性、色の深さ、日本的な色調、透明感…

世界に類をみない大理石、世界一の大理石なのですが

それを理解するには、よほど水石、美石に精通しないと無理ですね・・

違いがよくわからない。。

大理石→ 硬度が低い → 価値が低い という頭で終わってしまうのです








オニキスと大理石


オニキスというのは、本来、アゲート(瑪瑙)の中でも

平行な縞模様のあるもの(縞瑪瑙)をさす言葉です

しかし、現在流通上では、こうした分類がぐちゃぐちゃになり

オニキスは、縞瑪瑙ではなく、真っ黒な瑪瑙を指し

それに対するホワイトオニキスは、白い瑪瑙を指すのが普通です

赤縞瑪瑙だけが、サードオニキス(サードニクス)と本来の分類で呼ばれ

かろうじて本来の分類が生き残っています



また、さらに「縞」という意味合いから

建材の方で、なぜか縞模様の≪大理石≫を意味する言葉になりました

これはカルセドニー(玉髄)でもアゲート(瑪瑙)でもありません


とくに有名なのが、パキスタン・イラン等を産地とするグリーンオニキスです

グリーンといってもダークからライトまであり、また柄模様も様々

さらに白や赤や紫などが混じるものもあります

透明性を持っていて大理石の代表格とされています

花瓶、灰皿、傘立て・・・様々に加工されています











県郷土工芸品
(1992年指定)


「西濃大理石」は岐阜県郷土工芸品の指定を受けていますが

原石の枯渇により200年以上の歴史に幕を下ろそうとしています

その華やかさから、昭和天皇が「紅孔雀」と名付けるなど

世界でも稀な美しい模様で知られる伝統工芸品ですが

業者が保有する在庫もほぼ底を突きました



京都・南禅寺の大硯石(おおすずり石)

北野天満宮の美濃黒牛と更紗牛

を代表に

往時の評価の高さを今に伝える作品が全国に残るといいます











南禅寺の大硯石  (転写)






北野天満宮の黒牛 (転写)






北野天満宮の更紗牛 (転写)




大垣市金生山化石館の化石館だより

によると


金生山の大理石細工は

今では風前の灯となってしまいましたが

かつては全国にその名を馳せており

建築用大理石業、石灰産業と共に

赤坂の町を支える重要な産業でした



江戸時代の末期には、中山道を通る旅人相手に

金生山の美しい石を用いた

根付や風鎮(掛軸の軸先に付ける玉・重し)を

商うことが行われており


とあり




風鎮  転写




明治になり中山道を往来する旅人がいなくなると

一時的に赤坂の石細工は衰退します

しかし、明治10年に開かれた第一回勧業博覧会や

その後の博覧会に優れた作品を出品して名声を取り戻し

明治末から大正にかけて全盛期を迎えました


とあります





また

明治6年、明治政府が

オーストリアのウイーンの万国博覧会に参加したさいの

目録に、金生山の大理石細工もみられ


美濃国清水甚七・馬渕喜七と作家名が書かれているものが39点

他に美濃国赤坂とのみ書かれているものが18点

みられるそうです



フズリナの入った石は、当時、≪鮫石≫と呼ばれていて

花活けが2点、石菖鉢(せきしょうばち)が3点

置物台が4点、文鎮が1点みられるといいます




石菖と石菖鉢






西濃大理石はかつて

中山道赤坂宿の土産として人気を博し

最盛期の明治30年代には

金生山のある赤坂町(現 大垣市)には350もの加工

販売業者が軒を連ねたとされます



北野天満宮の二体の臥牛は

ともに明治41年に奉納されたもので

黒牛が、馬渕弥三郎という人の作

更紗牛が、馬淵弥兵衛という人の作

だそうです








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