緋山酔恭「山水石美術館」 全国の水石・美石を紹介 富士の溶岩・浅間板目眼鏡石



富士の溶岩

(縄状溶岩)




まず、溶岩とは、地下から上昇してきた液体であるマグマが流れて

冷え固まった岩石をいいます

(溶融状態にあるものも溶岩と呼ぶ)

「熔岩」とも表記されます



圧力の高い地球内部から地表へとマグマが上昇してくると

マグマに含まれていた揮発性成分は気化して膨張し

一部分はマグマから抜け出し、一部分は溶融状態の溶岩の中で気泡をつくります

この溶岩が急速に固まると多孔質の岩石としての溶岩になります

なお、溶融状態の溶岩の温度は1200℃以下で

これが地表上を重力の作用で流れ下ると溶岩流とよばれます






縄状(なわじょう)溶岩について、百科事典で調べると

表面が縄をたばねたような形で固まっている溶岩で

粘性が小さく流動性に富む玄武岩質マグマが固まるときにできる

日本では富士山,大島三原山などにみられ

ハワイではこれをパホイホイ溶岩呼ぶとあります




粘性が低い玄武岩質溶岩は、流下に伴ってガスが抜け

また温度が低下するに従って粘性は急速に増大し

流下速度が遅くなり、固結して縄状溶岩になるようです


表面から固まってゆくので、表面は固まっていても、中が溶けていて

カサブタが破れたようになって、中から流動性の高いマグマが出てきます

それも表面から固まるという具合に繰り返してゆくので

全体としては縄をなったように溶岩となるそうです




ちなみに 我が国に産する火山岩は大きくわけて

玄武岩・安山岩・流紋岩の3種になります

我が国の多くの火山をつくっている溶岩は、おもに安山岩ですが

富士山や伊豆七島の火山の溶岩は、おもに玄武岩でできているそうです






立山カルデラ砂防博物「富士山、立山、そして日本の活火山」展

のときに展示された富士の縄状溶岩


写真は転写




富士山は10万年ほど前から何度も噴火を繰り返し

約1万年前に現在の形となったようですが

専門家は、現在の形となった富士山を

以前の山(古富士火山)と区別して「新富士」「新富士火山」と呼んでいます



ちなみに火山の山は、噴火によって溶岩が流れ

その溶岩が積み重なってだんだん高くなってできたものです

富士山が代表で、3回の爆発によって噴出した

溶岩が積み重なってできた山だといいます



新富士火山の初期には、山頂や山腹の割れ目火口から

きわめて大量の玄武岩溶岩が流出したそうです


特に1万年前ころの溶岩は粘りけが小さく

ハワイの溶岩のように薄くて広がりやすい溶岩で

次から次へと流れ出したそうです



流れ出た溶岩は

愛鷹山(あしたかやま)に遮られましたが

一部がその東側を回り

箱根火山の西麓との間を南下し

先端が現在の三島周辺、駿河湾に到達しました

この溶岩流を三島溶岩流と呼びます


三島溶岩流の一枚ごとの溶岩の厚さは1m程度ですが

何枚も積み重なっているため

三島市南方の狩野川付近では全体で50m以上の厚さがあるそうです





転写





日本300名山 山伏(やんぶし)岳より富士

右端奥に小さく200名山の愛鷹山(愛鷹連峰)





200名山 愛鷹山の黒岳より見る富士。五拾銭紙幣になった富士です








日本300名山 箱根山最高峰 神山(かみやま)にて





伊豆 発端丈山(はったんじょうざん)にて駿河湾と富士




また、「三島溶岩流」には、パホイホイ溶岩的な特徴のものもがみられ

市立公園の楽寿園内の縄状溶岩は、国指定の天然記念物及び名勝になっています






転写





転写





転写






なお、 関東ローム層は

富士山・箱根山・愛鷹山・浅間山・榛名山・

赤城山・男体山などの諸火山から関東平野に降下した

火山灰がもととなっているといいます



ロームは、粘性質の高い土壌で

シルト(砂より小さく、粘土より粗い土粒子)

および粘土の含有割合が25~40%程度のものいいます


ロームで構成された地層をローム層といい

日本では、火山起源の関東ローム層が著名です



関東ローム層のロームは

第四紀(約180~160万年から現在までの地質年代)

の火山活動に由来しているそうです


火山灰起源の赤土

(火山灰の風化堆積物・火山灰が風化し粘土化したもの)

の総称だそうです



一万年以上かけて、火山灰に含まれている鉄分が酸化し

赤土の層になったとされます




ローム層は出来た時代によって

さらにいくつかの層に区分することができ


南関東では古いほうから

「多摩ローム」(箱根火山) 「下末吉ローム」(箱根火山)

「武蔵野ローム」(富士山) 「立川ローム」(富士山)

4層に区分されているといいます


〔下末吉は、神奈川県横浜市鶴見区の町名〕



ローム層は、火山の大噴火がないときは少しずつ堆積し

大噴火があったときは、ローム層の間の軽石層などとして

一気に厚く堆積するそうです



赤玉土は、関東ローム層の赤土を乾燥させ

振るいにかけて、粒の大きさごとに分けたものです






クリックすると写真が拡大表示されます






横29×高さ(台なし)43×奥20  およそ16㎏




















九鬼山にて。大月市の十二単(じゅうにひとえ)の富士の一つ





南アルプス 千枚岳(手前)と富士





日本100名山 丹沢で一番人気のある 塔ノ岳より見た富士





200名山 奥多摩三山〔他に三頭山(みとうさん)と御前山(こぜんやま)〕の一つ

大岳山(おおだけさん)にて






100名山 南アルプス 甲斐駒ヶ岳にて

富士と手前に100名山 鳳凰三山(左から地蔵、観音、薬師岳)






日本200名山 乾徳(けんとく)山にて。乾徳は奥秩父連峰南部の山です









フラッシュ撮影したこの写真が、実物の色に近いです




この石は、著名な石の収集家 静岡県在住の一刻爺さんこと

田旗さん(故人)にゆずってもらったものです



富士の溶岩といったら、庭におくような巣穴の多い軽い石しか

知らなかったので、最初見たときはびっくりでした


この石はとても重く、硬さもあります


一刻さんによると

「富士の溶岩の専門業者がこれだけ景のあるモノは初めてみた」

と驚いていたそうです


日本の象徴である富士山

その溶岩で日本一のモノとなれば

「これは日本の宝でしょう」と思い

ちょっと高かったんですがいただいてきました


田旗さんもご高齢で大病を患ったりしたことで

手放す気になり、私のもとにきました



なお、一刻先生は、最初の写真を正面とし

不動明王、お不動さんにみたてて観賞していました



一刻さんは台座づくりも、業者から頼まれてつくられていたくらい上手で

この石の台座も先生の作です







浅間板目眼鏡石




浅間板目石は、

天明3年(1783)の浅間山の噴火による

溶岩の通過したところにしか見られないのだそうです

ただ、どうして層状に固まったのか?

じつのところ研究をする研究者がいないらしく、よく判っていないらしいです






浅間板目石で造られた灯篭  転写





転写





もちろんなかなか水石になるような

手頃な大きさで形のいいモノは入手困難

この石は、さらに板目の眼鏡石ということで

長野の月水苑の月水さんからいただきました






横51×高さ19×奥28  およそ8㎏










51cmあって、重さが8㎏しかないので

かなり軽い石です




しかし、月水さんからこのようなお言葉をいただいております

これは、個人的な見解でもありつつ、、、普遍的概念からも

あの「浅間メガネザラメ石」……

あれも、観念的な愛好者や水石家では、良さが見抜けないのです

石の本質がわからない者には、多分熔岩という括りで縛られて理解ができません。。。

ですが

あれは、野暮な天然記念物よりもまして、価値のある石です

なぜなら世界広しと言えど、、、浅間でしか採取出来ないからです。。。








黒斑(くろふ)山登山道より、日本屈指の名峰 100名山 浅間山





日本200名山 浅間隠(あさまかくし)山より、200名山妙義山全景

手前が表妙義、奥が裏妙義。右端奥に富士が見えます






ちなみに、浅間山の天明3年の噴火は

日本の火山噴火の災害として最大の出来事だと言います

断続的に活動を続けていた浅間山は、旧暦の7月8日に大噴火をおこし

このとき発生した火砕流(火山灰が一団となって流れ下ったもの)により

嬬恋村(旧鎌原村)では一村152戸が飲み込まれたそうです

さらにこの浅間山噴火による利根川の河床上昇は、3年後の天明6年に

利根川流域全体に洪水を引き起こしたそうです



なお、嬬恋村の鬼押出し園は、天明3年におきた浅間山の噴火の際に

流れ出た溶岩が風化して、天下の奇勝となったわけです





鬼押し出しの溶岩と浅間山  転写







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