緋山酔恭「山水石美術館」 水石・美石を紹介 枝幸めのう・花石めのう


枝幸めのう



北海道の枝幸(えさし)町の山で採れるメノウです




枝幸町



北海道のメノウと言えば、今金町で採れる

「花石メノウ」です

花石のメノウは、明治時代には、日本で流通するめのうの95%を産出し

一時は海外に輸出さえしていたと言います



そこで「花石メノウ」を入手しようと

亡くなられた一選堂(旭川の水石業者)の相内さんに依頼したところ

めのうを専門に扱っている人(友人の業者さん?)から

「なんで花石のメノウ欲しいの? 北海道のめのうと言えば≪枝幸≫だよ」

と言われたとのことでした



なぜ、枝幸が一番というかというと

加工を一切せず

「生めのう」として飾れるからとの理由です









なお、メノウはスライスにして

スライスした面を鑑賞するのが

世界的な鑑賞方法ですが

水石、美石の愛好家の興味の対象外ということもあるでしょう



但し、枝幸めのうは、鉱物学的には

瑪瑙でなく、玉髄です



石英鉱物は、目に見えるほど大きく結晶しているもの

つまり顕晶質(けんしょうしつ)のものを「水晶」と呼びます


一方、ミクロサイズの結晶が集まった潜晶質(せんしょうしつ)のものは

「カルセドニー」(玉髄)、「アゲート」(瑪瑙)、「ジャスパー」(碧玉)に分けられ

「カルセドニー」(玉髄)と「アゲート」(瑪瑙)は、半透明なモノ

瑪瑙は、カルセドニーのなかで模様の美しいモノとされています

これに対し、ジャスパーは不透明なモノを指します





玉髄のマメ石

この石は、小田切錦石研究所さんより「玉髄」ということで入手していますが

模様のあるなしでいうと、そうかもしれませんが

透明度から言うとメノウとも言えるし、ジャスパーとも言える中間的な石です


なお、スライスしたときに半透明なら「瑪瑙」らしいのです

ただ【何センチにスライスしたとき】などといった規定もなく、そこはあいまい

厳密には不純物を20%以上含んだ不透明なものをジャスパーというそうです



まぁ、鉱物学的には分かりませんが

一般的には「玉髄」というと、柱状やブドウ状の生メノウと理解されている

ことが多いのではないかと思います



ちなみに、岩谷口メノウ(錦紅石)、羽茂メノウ(羽茂五色石)

ピリカメノウ(ピリカ石)・・・・ と呼ぶように


日本では、透明感のあるジャスパーの≪美称≫として

「メノウ」と称する場合があります




佐渡 錦紅石 12㎏




佐渡 羽茂五色 31㎏




ピリカ石 15㎏




枝幸メノウは

「生メノウとしてだけではなく

「カーネリアン」(赤めのう)としても最高級です

熱処理による着色もしません

(カーネリアンを加熱すると、含まれていた鉄が酸化して赤い色合いが強くなる)



なお、相内さんのイチオシの石は、この石でした

「松脂を固めたような枝幸で、はじめて見た」

ということでした


しかし、当時、メノウに関してよく理解していなかったことと

もともと赤い石が好きだったことから

この石の良さが分からず購入しませんでした


今思うと、買っておけばよかったです


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いずれにしても、水石趣味のメノウとして

その二大ブランドは、江幸メノウと、加賀メノウと言えるかと思います



以下は、緋山所有の加賀メノウ


















それから、緋山の一番の好みは、ジャスパーの色が面白く混じった石です

なので、加賀メノウは別として、そもそもメノウに興味はありませんでした

(水石にする前、ずっと昔に、外国産の水入りメノウとかを買っていたことはありますが)



メノウに興味をもったのは、静岡で著名な愛石家であられた

一刻爺さん、こと田幡先生(故人)のもとに

この五城目孔雀を譲ってもらいに行ったときに





見た ピリカメノウでした



この石を見て衝撃を受けたわけです

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の石は、先生のブログで拝見していたものの

実物を見て、びっくりでした

色合いといい、質感といい なにしろ素晴らしく

ずっしりと重い


なお、御子息の一刻亮さんと、北海道旅行をしたさい

たしか今金町の石屋さんで購入なされたとのことでした

そうした思い出の石であることから、手放すことはできないということでした




一刻先生から譲ってもらったピリカ




今金町は、ピリカ石の産地ですが

同時に「花石メノウ」の産地でもあります

前述したように、花石メノウは、明治時代には、日本で流通するメノウの95%を産出し

一時は海外に輸出さえしていたと言います




花石めのう館(今金町地域特産品生産センター・平成22年に老朽化で閉館)もありました

平成22年に老朽化により閉館しています



現在の糸魚川 フォッサ マグナ ミュージアムと比べると

お話にならないとは思いますが

かなり賑わっていたことは想像に難くありません



なお、緋山は、花石めのう館の石を磨いていた

メノウ職人の田中さんから最後の最後に残された花石メノウを

全部買い取っています

(全部といっても花石は数点しか残されておらず、あとはブラジル産ばかりでした)





話を戻すと、ピリカ石の産地 今金町は、花石メノウの産地でもあるわけですから

一刻先生の石 (現在 亮さんの所有の石)は、花石かな?

とも思われますが


田中さんのお話では

花石の赤メノウは、灰に入れて色を濃くしていた ということですので

これだけの石が「花石である」 というのには、疑いを生じます


だいたい花石メノウとして、たまにヤフオクに出てくる石は

小さいので、その特徴が見えてきません


かつて世界にまで輸出し、地元の主要な物産であったにもかかわらず

今では、その全容がまったく分からなくなってしまっているのです


また、一刻先生の石は、細かい石で

軽く「樽磨き」してあるとは思われますが

生の雰囲気が残っていることからも

緋山の見ててでは、≪江幸≫です


決定的なことをいうと

アゲート(瑪瑙)、カルセドニー(玉髄)の分け方でいうと

花石が前者であるのに対し、江幸は玉髄です






それと【ピリカ】という言葉は、「美しい」「かわいい」を意味するアイヌ語なので

この石の「美称」として、石屋さんがつけたと思われます




なお、幸太郎の本場である日高の

水石業者 貝澤さんに、この写真を送ったところ




札幌愛石会の相談役の

野村さんよりいただいた 超硬質の赤幸太郎 15.5㎏



「緋山さん、これはすごいメノウだよ」





「仲間の人にあたってあげるけど

こんないいメノウは、たぶん入らないよ」と言われました



いずれにしても、この石が

生メノウへの理解を深めていくきっかけとなったのです




改めて、一刻亮さんから画像をいただきました

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それと、原石状態のジャスパーは

佐渡でも、蘭渓でも

このように、鉈でかち割った状態のものなので

玉髄とはまったく違うので、あきらかに分かります




蘭渓石 22㎏





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横21.5×高さ(台込)23×奥7  4㎏弱










生メノウは、色彩ばかりでなく

その造形も楽しめるのですが

ややもするとグロテスクなります


私の好みを言うと

あまりグロテスクのものは

好きではないのです


そことの境界のものがいいわけです



しかし、色彩がよく、造形をも楽しめ

グロテスクでなく

水石趣味に向くものとなると極めて少ないと思われます












横14.5×高さ(台込)19×奥4  1718g




この石は、神居水石庵の陶山さん(旭川水石会副会長)

から入手しました


陶山さんは、神居水石庵という

神居古潭をはじめとした北海道の石の展示場を営まれていて


また、高齢になった地元水石会の会員の石を

ヤフオクに出品してあげることなどをしている方です


陶山さん自身も当時76歳になられていました




七里さんは、鉱物、パワーストーンのお店をしていた専門家ですが

江幸は、世に広まれば、鉱物趣味の人にも人気になる石だといいます


とくに、ブドウ状のメノウ(玉髄)は、鉱物家からとても人気で

しかも、色づけしていないでこれだけ赤く

さらに国産なので、みなが欲しかる石だといいます



緋山の趣味からいくと、玉髄は虫々した感じがして

あまり好きではありません


これがギリギリ、これ以上になるとグロテスクな感じで

好みません


下の石のくらいが一番好みです











横14×高さ(台込)20×奥6  2010g










神居水石庵の陶山さんからいただきました











横21×高さ(台込)11×奥3  987g




亡くなられた一選堂(旭川の水石業者)の相内さんからいただきました


魚の卵みたいでいい感じです












横23×高さ(台込)16.5×奥4  2005g




一選堂の相内さんからいただきました










横23×高さ16×奥14  およそ6㎏







一選堂の相内さんからいただきました











横27×高さ(台込)24.5×奥8  およそ5㎏




相内さんのお話では、手ではこれだけ細かくは磨けないので

砂のように細かい石で

「樽磨き」(同質の硬さの石と一緒に

コンクリートミキサーのような機械でころがす)

を長くかけて、仕上げたと思われる とのことでした






大阪府堺市の太田古陶苑さんからいただきました











横41×高さ(台込)14×奥7.5  およそ4.5㎏







およそ50年前に採石した「枝幸メノウ」だそうで

表面の肌が凄くその輝きは別格で超一級


写真より実物は透明度が高く

キラキラの結晶は翡翠を思わせます




この石は、神居水石庵の陶山さん(旭川水石会副会長)

から入手しました











横9×高さ(台込)13.5×奥5  570g



















秋田の方(発送がヤマトの北秋田営業所)から

メルカリを通して、まとめて入手をしたうちの一石です


出品者のおじい様がたいへんな収集家のようです


磨いてありますし、小さいですが

色がとてもよく、机に置いて楽しむのにいい石です









花石めのう



北海道のめのうと言えば、今金(いまかね)町の

花石めのうです

江戸時代は、砂金の産地で、

日光東照宮の金箔のほとんどは花石産だそうです









花石のめのうは、明治時代には、日本で流通するめのうの95%を産出し

一時は海外に輸出さえしていたと言います


花石めのう館(今金町地域特産品生産センター)もありましたが

平成22年に老朽化により閉館しています








なお、今金町のピリカ石(ジャスパー)は

北海道の色彩石として名高いです



また、花石は、砂金でも有名な地域だったといいます

江戸時代は重要な砂金の産地で

日光東照宮の金箔のほとんどは花石産だそうです

花石の砂金は、とても粒が細かく、通称「ぬか金」といわれる種類らしいです





入手した花石メノウうは、花石めのう館の石を磨いていた

メノウ職人の田中さんからいただきました


ご高齢(80歳を超えていた)なため

息子さんに残っていた在庫の石の写真を送ってもらい

そこから選んで購入したものです



なので、最後の最後に残された花石メノウです


最後の最後なので、よい石は全部買っておこうと考えていましたが

以下の石しかなかったのです (あとはブラジル産でした)



田中さんによると、花石めのう館でも当初は

花石産だけを扱っていたが

のちに大半がブラジル産のものを販売していたそうです

また、花石産りメノウは、世界一硬質のメノウうだといいます




また、カーネリアン(赤めのう)の発色は

メノウを灰の中に一週間ほどうめて行われていたとのことでした

石に灰をもる量や、灰に入れておく期間により、色に違いがでるそうで

どのような石に仕上げるかは職人の感だと言っておられました






ちなみに、瑪瑙は、潜晶質ゆえに、すきまがあり、染色することが可能です

瑪瑙を染色したものは結晶の密度の違いによって

コースターの写真ようになります










以下の青系はそのまま

赤系は、灰に埋めて、加熱処理したものだそうで


ともに無着色です





横16×高さ16.7×奥4.7  2482g













横24×高さ13×奥5.5  2198g


田中さんによると、これだけ緑のものはとても珍しいそうです












横17×高さ13×奥3  1215g






道南ブロック博物館施設等連絡協議会ブログ

https://dounan.exblog.jp/32949069/

ピリカ旧石器文化館(今金町)の矢原史希さんの記事






【 古くから瑪瑙産業の盛んな福井県の遠敷(おにゅう)村では

市場の衰退を食い止めるため瑪瑙職人たちが奔走しており

村長小林佐左衛門(こばやしさざえもん)主導の下で組合を結成して

盛んに作品を勧業博覧会に出品し、その名声を高めていました

一方で、当時の原料は県内産や新潟県産が中心でしたが枯渇が危惧されており

新たな原石の輸入元を確保する必要に迫られていました

このような背景からか、明治20年代にはたびたび福井県の人間が

花石瑪瑙の試掘に関わっていたようです


 そして明治35年から始まった官有林内の花石瑪瑙の払い下げにより

本格的に福井県輸出向けの瑪瑙採掘が開始されます

瑪瑙はそのほとんどが福井県に送られ

質の良さと価格の安さから瞬く間に

県内の瑪瑙細工用原料の大部分を占めるようになりました

また、瑪瑙を加工する際に焼き入れという発色処理が行われていましたが

従来産地のものでは加熱に必要な期間が1~2年ほどであったのに対し

花石産の原石では僅か半月ほどで済んでしまうことも

花石産原石が求められた理由の一つです


このようにして安価で良質な原産地を確保した

福井県の瑪瑙産業は市場を席捲し、細工品だけでなく

発色処理をした花石産原石を他の瑪瑙細工産地に輸出する流れが生まれました

その詳しい流通量は不明ですが

明治末から大正年間にかけて花石瑪瑙が国産瑪瑙として

流通するものの大部分を占めるようになったと考えられます


この流れは昭和の初頭頃まで続きましたが

太平洋戦争前後を境に採掘量の減少や安価な海外産瑪瑙の流通によって

花石産原石の利用は減少し

昭和の末期には福井県内で利用されるうちの20%程度にまで縮小します




福井県 若狭のメノウ細工



今金町内では、採掘の最盛期にごく一部の原石が

手作業で加工され販売されるのみでしたが

1986年に花石に機械設備と専門の職人を備えた

地域特産品生産センターが開業し集中的な瑪瑙加工が行われます

2006年に閉鎖となり花石瑪瑙はその歴史に幕を下ろしますが

今でも町中の庭石や記念碑の土台として目にすることができ

かつての産業の名残を感じることができます 】


とありました



以上の話からすると、花石メノウは

若狭のメノウ細工の原料として、利用されていたことで

全国にに出回るメノウの95%を占めていた

ということが分かります



≪若狭めのう細工≫についてもふれておきます

以下は、Dearふくい

https://dearfukui.jp/industry/12558/2

というサイトを参照されていただきました




若狭めのう細工は、福井県小浜市に伝わる伝統工芸品

200~300℃で焼くことで生まれる、鮮やかな赤色を特徴とする

日本の貴石細工のルーツとも言われている


奈良時代、遠敷(おにゅう)、現在の小浜市・若狭町・おおい町周辺に

玉を信仰する 鰐族(わにぞく)という渡来人が渡ってきて

若狭一の宮(若狭彦神社)の前で、玉を作り始めたとしたと言われているが

現在の技法が確立されたのは江戸時代中期


江戸中期に、若狭出身の玉屋喜兵衛が、関西の眼鏡屋で奉公中に

めのうの原石に熱を加えることで赤く発色させる技術を習得し

故郷で玉造りを始めたとされる


明治初期に中川清助がさまざまな彫刻の技術を生み出す

昭和51年に伝統的工芸品に指定された


明治時代頃は花石メノウが使われていたが

現在ではブラジルなど海外から輸入したものが使われている


工程は、大まかに切る →

野ざらし (一定期間、原石を放置。これにより中が酸化し

焼き入れで鮮やかな赤が出やすくなる) →

焼き入れ (200~300℃で原石を焼く。温度が高すぎると割れてしまうし

低いと発色が弱くなる) →

彫刻・整形→ 磨き


とのことです







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