桐生川 更紗石 横26×高さ(台込)17×奥13 およそ5.5㎏ この石も、茨城県結城市の株木さんからいただきました 昭和30年の後半から40年代に水石ブームがおこる 一般の人も石を買いました ただ一般の人はブームにのって買っているだけで 石のことはよくわかりません 石屋さんも「なんでも売れる」というので 水石に似せた加工石をつくり、一般素人に売りまくりました 蛇紋岩やわけのわからない石を加工し、山形にして売ったわけです そうした加工石は、ブームが去り 本当に石の好きな人だけが残ると ほとんど価値のないものになってしまいました とくに都心部では住宅事情の変化もあり、処分にこまるものとなっています また、水石や美石ブームのときには、各地で様々な石が発見され 広く知られるようになり これらの石は、地元の愛石家によって熱狂的に採取されたようです ただ、もともとそんなにたいした石ではなかったものも多く ブームがさると、見向きもされなくなった石もかなりあります この桐生の更紗石を一見したとき 「桐生の更紗石というのは、たいした石ではないな・・・」 「ブームがさったあと、見向きもされなくなった石だろう」 と感じました なぜなら桐生の更紗石は、チャートであり チャートは一般的に 佐渡の赤玉などのジャスパーと比べると 色味に魅力がないのです 土岐石(ときいし)の場合 ウッディージャスパーである本土岐に対し チャートは、ニセモノ扱いされるほどです とはいえ、この更紗は 絵柄がよく、石にもふくらみがあり これはこれで、味わいがある石です じつはチャートも、ジャスパーほどの硬度をもちます そもそも、チャートとは堆積岩の一種で 主成分は水晶、メノウ、ジャスパー同様の石英です この成分を持つ放散虫・海綿動物などの動物の殻や 骨片(微化石)が海底に堆積してできた岩石と言われています 群馬県桐生市梅田町の「梅田ふるさとセンター」には、地元の石として 桐生川の更紗石と、渡良瀬川の桜石が展示されています (写真は転写) (写真は転写) この石は、桐生更紗の特徴である白い脈線の混じり方が とてもいいです (写真は転写) 日本地質学会の 藤井 光男氏 の説明書きがあり 桐生川の「サラサ石」は、その模様が織物の更紗(さらさ)に似ている ということで付けられた名前ですが、岩質からいえばチャートです 本来チャートは、微生物が海底に堆積してつくられます しかし「サラサ石」は、普通のチャートと大分異なっています 「サラサ石」は、いつ頃どのようにしてできたのか謎となっています 想像するに、今から2億年前頃に地下の深部で チャートが何らかの熱を受けてつくられたものと思われます なぜ他の色でなく、赤と白の「サラサ石」なのか全くの謎です とあります 群馬県桐生市は「織物の町」として有名で それを象徴するのにふさわしい石なわけです なお、ネットで、桐生川の更紗石を調べると 岩石としての名前は、チャートである 赤は、酸化鉄を含むからで白い脈は、不純物が少ない部分である 海底に堆積したものが、地殻変動を受けて 縞が乱れて景色になったものである 同じ赤でも、明るい赤から、黒に近い赤まである とありました なおチャートの最上質として 観賞石となっているのが、紅加茂石です およそ36㎏ 桐生川 赤更紗石 横24.5×高さ(台込)23.5×奥14 およそ8.5㎏ 桐生川は、主に群馬県桐生市を流れる 利根川水系の渡良瀬川支流で、長さ58kmです この石は、朝日沢産だそうです 桐生川更紗の色というか チャートの赤としては 最上級でしょう 暗い赤、明るい赤、紫を含み 赤は、暗い赤も茶赤などでなく 綺麗です また、ジャスパーとは違った独特の色調をしています この石だと紅加茂以上に色味がよく 石のブームに必死になって、探石されたのがうなづけます 昭和39年刊行の「原色日本水石図鑑」(徳間書店)にみられる 桐生川更紗石 47.5㎝ ≪色石としては渋く≫ ≪派手さをおさえた色調が水石として十分以上の資格をそなえている≫ と書かれてありますが この色だと、色石としての魅力は欠けます 桐生川更紗の原石は 茂倉沢(もぐらざわ)や、朝日沢にあるようです これらは、仙人ヶ岳(663m)という 低い山のあたりにある沢のようです 鉱物収集家のsafuoさんからいただいた 茂倉沢採取の更紗石 横9㎝ 93g 更紗とは、インド起源の紋様染めで 木綿または絹の地に、花鳥や幾何的模様などを染めたものです 日本では、インド更紗、ジャワ更紗、ペルシャ更紗(イラン) シャム更紗(タイ)、和更紗、ロシア更紗 オランダ更紗、イギリス更紗、ドイツ更紗 ジューイ更紗(パリ郊外のジューイ村に由来。フランス更紗ともいう) などと産地で分けて呼びます なお、現代に伝わるインド更紗は、おおむね16世紀以降のものとされます インド更紗 転写 ジャワ更紗 転写 ペルシャ更紗 転写 フランス更紗 転写 ロシア更紗 転写 江戸更紗 転写 英語では、chintz(チンツ)に相当し チンツの語源として有力だったのが サンスクリット語(梵語)のchitraで 「多彩な」という意味があります しかし、最近では、インド土着言語のchitta(斑点模様の布) が語源であるという説が有力になっています 日本語の「さらさ」の語源については諸説あります 当時、インド西海岸の要港であったスラート(Sulat)が転訛したもの ジャワ語のsrasah、ポルトガル語のsarassa, saras スペイン語のsarazaなどからきたなもの などといった説です そのなかで最も支持されているのが インドで16世紀末に極上の多彩な木綿布をさした saraso, sarassesの語が 日本に入ったというものだそうです また「更紗」という漢字表記が定着するのは江戸時代末期のことで それ以前には「佐良佐」「紗良紗」などさまざまに表記されていたそうです 桐生川 更紗石 (荒井川産) 横18.5×高さ11×奥8 2483g 渡良瀬川系統の更紗を専門的に拾ってきた 石川さんよりいただきました 石川さんは、栃木市在住の方で 水石収集家ではなく 庭石としての更紗を、収集してこられた方です 庭には、それはみごとな更紗石が置かれています ちょっと小さいくて「欲しいな」と思っても 聞くと、60㎏はあるというのです なかなか、水石となる手頃な大きさのもので 景色のよいものは、揚がらないようです 石川さん宅の見事な桐生川更紗を紹介します 旗川産 他に比べやや小ぶりですが、これでも60㎏あるとのこと 桐生川 更紗石 (旗川産) 渡良瀬川系統の更紗を専門的に拾ってきた 石川さんのお話によると 関東の更紗石と言えば 渡良瀬川(利根川水系)の支流 桐生川の更紗が、有名ですが 他にも 思川(おもいがわ・渡良瀬川の支流) 荒井川〔思川の支流の大芦川(おおあしがわ)のさらに支流〕 小俣川(おまたがわ・渡良瀬川の支流) 旗川(はたがわ・渡良瀬川の支流) といった渡良瀬川系統の河川で採れるそうです 北海道の「金華のジャスパー」は 産地の 留辺蘂(るしべ)町 金華(かねはな)より 全国的に知られる 近くの「北見」の名を冠して 全国的には「北見錦紅石」と称して 扱われてきました (北海道の業者は、あまり北見錦紅とは言わないそうです) 同様に、渡良瀬川系統の更紗石は 織物の産地 桐生の名を冠して すべて「桐生川更紗」として 流通してきたことは、想像に難くありません 石というのは、山に原石があり それが、北川に転がると〇〇川の石 南側に転がると××川の石となったり また地域一帯が、同じ地盤だったり するのですから すべて「桐生川更紗」で問題ないと言えばないわけですが 地元で専門的に 渡良瀬川系統の更紗石を拾われてきた 石川さんによると それぞれの川の石には それぞれの特徴があるそうです そんな石川さんのお話では 各河川うち 栃木県佐野市田沼の旗川(はたがわ)のものが 赤(茶赤ではあるが)が綺麗で 赤(朱色に近い)の線も入り 最も美しいとのことです 横24×高さ(台なし)16.5×奥11 6㎏弱 この石は、特別、景色がよいです 庭石クラスならともかく こうした手頃の大きさで この色合いとこの景色のウブは まず出てこないと思われます 桐生川 更紗石 横18.5×高さ(台なし)22×奥10 およそ5㎏ この石は、茨城県結城市の水石業者 株木さんよりいただきました 株木さんに、桐生川を専門に探石している人にあたってもらい ようやく入手できた石です 更紗の赤としては、これが最上の色だそうです 私もチャート系の石としては これ以上、鮮やかな「赤」は望めないと思います また、石質は、かなり硬質で 白の模様もそれなりに面白く混じっています 桐生川 更紗石 横17.5×高さ(台なし)20.5×奥9.5 3.5㎏ この石は、まる磨きしたもので 茨城県結城市の水石業者 株木さんよりいただきました 桐生川 赤石 横26.5×高さ10.5×奥13 およそ3.5㎏ この石は、茨城県結城市の株木さんという水石業者からいただきました 株木さんというかたは、業者に卸す業者さんでもあり 水石の世界では、名の知られたかたです もう80歳ちかいかたですが 業者の人みなが、口を揃えて 株木さんの人のよさを語るくらい親切なかたです 関東、東北、新潟あたりの拾い屋さんから 株木さんのもとに石がもちこまれるわけですから 岩手の久慈川の石 福島の伊南川・只見川の石 新潟の八海山や仙見川石 茨城の久慈川や鬼怒川の石 群馬の渡良瀬川や桐生川の石 あたりは専門です 株木さんが、桐生川の石を専門に拾っている人のもとに行き みつけてきてくださった石です そのさい大きさのある石はここに掲載した3石しかなかったそうです ジャスパーではなくチャートの色のいいものだと思います 横21×高さ10.5×奥16.5 4㎏強 横20×高さ15×奥9 およそ3㎏ 更紗の系統かもしれません 桐生川 五色石 横21×高さ(台なし)15.5×奥10.5 4㎏強 この石も、茨城県結城市の水石業者 株木さんよりいただきました 株木さんが、ずっと昔に、桐生川に更紗石を探石にいったさい 五色石をみつけて いくつか売ったという話を、私にしてくれたのが 3年くらい前でしょうか? 〔株木さんがみつけて売ったという石は 100㎏くらいある庭石クラスのものが多かったそうです また、誰に売ったかも忘れてしまったそうです〕 以来、株木さんは なんとか私に 桐生川の五色石をみせたいという思いから あちこちあたってくれたのです しかし、地元の愛石家でも 桐生川五色の存在すら知らない人がほんどだったそうです また「五色石もっているよ」と聞いて 行ってみると、色がボケていたりだったそうです 私は、もうあきらめていたところでしたが 「入手した」との連絡を受け 結城に、飛んでいったわけです 期待が大きかったので 正直「この程度か・・・」 というのはありましたが 株木さんのお気持ちが嬉しかったのと 関東の人間としては 幻的な石なので ぜひ紹介したいというのがあり いただいてきました 質は、おそらくジャスパーでなく チャートだと思います ちなみに、株木さんによると 桐生川五色としては、これで最高クラスとのことです 加古川 更紗石 横30×高さ(台なし)20×奥13 およそ10.6㎏ この石は、ヤフオクに 兵庫県加古川水系産 赤模様石 として出ていたものを落札しました 更紗模様がみごとで そのままでは、茶赤ですが 水に濡らすとめちゃくちゃ綺麗です 加古川(かこがわ)は、加古川水系の本流で 兵庫県中央部を流れています 但馬地域と東播地域の境界に連なる中国山地の 粟鹿山(標高962m)の山麓(丹波市青垣町)を源流とし 本流の長さ、流域面積は兵庫県最大といいます また、篠山川、杉原川、野間川、東条川 万願寺川、美嚢川などの118の支流を集め、播磨灘に注いでいるそうです 瀬戸内海に注ぐ主な河川 転写 転写 播磨五川(はりまごせん) 転写 〔 千種川、揖保川、市川、夢前(ゆめさき)川、加古川 〕 卯原内川の赤石 横15×高さ14.5×奥7 1879g この石は、千軒石の著名なコレクターである センゲンさん(網走市在住)からいただきました 卯原内川(ウバラナイガワ)について ネットで調べましたが 小さな河川のようでほとんど情報が得られませんでした 分かったのは 卯原内川水系の本流であること 上流に、卯原内ダム 〔北海道網走市字(あざ)卯原内〕があること サンゴ草で有名な能取湖(のとろこ)に注ぐこと だけでした 能取湖のサンゴ草 転写 センゲンさんが所有する卯原内川です 30センチほどあり、重い石とのことです こちらは、網走川で拾った石だそうです 15センチくらいだと言っておられました この更紗タイプの石は 網走川に2年間て25回探石に行き わずか2つしか拾えなかったそうです なお、25回の網走川への探石の目的は 網走川の真黒石にあったのだと言っておられました 真黒石自体は見つかるそうですが 形があるものは25回の探石で2石しか拾えなかったそうです センゲンさんのブログにある http://pereke.seesaa.net/article/a14307647.html 網走川の真黒石です 27センチ 網走肌(センゲンさんの命名)という 独特の肌をした真黒石です 網走川は、網走川水系の本流で 北海道網走郡津別町南部の阿幌岳南斜面に源を発し、北に流れ 網走湖に至り、オホーツク海に注ぐそうです 高麗川 更紗石 高麗川(高麗川)は、荒川の水系の河川で、(おっぺがわ)の支流 越辺川は入間川〔いるまがわ・ 上流部は名栗川(なくせりがわ)とも呼ばれる〕 の支流です ウキペディアによると 埼玉県飯能市、秩父郡横瀬町、比企郡ときがわ町の境である 苅場坂峠付近に源を発し 南川と北川が合流して高麗川と呼ばれるようになる 飯能市、日高市、入間郡毛呂山町を流れ その間に長沢川、宿谷川などの支流を合わせ坂戸市で越辺川に合流する とあります ちなみに、越辺川の源頭は「関八州見晴台」(かんはっしゅうみはらしだい) という標高771mの尾根筋の高台で 入間川は、大持山(おおもちやま)の南東斜面に源とするとされます 大持山(1294m)は 秩父盆地のシンボルである 武甲山(1304m)の となりの山(子持山を挟む)です 高麗と言えば、巾着田(きんちゃくだ)で知られています 巾着田は、日本一のヒガンバナ群生地で ヒガンバナ以外にも 春にはサクラや菜の花、夏にはアジサイやハス 秋には、コスモスが見ごろとなり、多くの観光客で賑わいます 巾着田の歴史は 8世紀にこの付近に移り住んだ高句麗からの渡来人が 大きく湾曲した高麗川を利用してこの地を開墾し 田を作り、稲作を伝えたことによるそうです クリックすると写真が拡大表示されます 日和田山より巾着田 転写 巾着田より日和田山(305m) 転写 高麗川では、これといって評価がつく石は採れませんが 私がかつて住んでいた西東京市から 比較的近い川であったので、探石してみたところ 鮮やかで、とても美しい赤の混じる チャートの小石をみつけました 左の石は、5㎝なかったと思います この石で、11㎝ そこで、こうしたものの大きさのある石を揚げたいと 川をずっと遡上して、見つけ歩いたことがあります かれこれ15年くらい前の話です 私の他に、探石に入る人などいない川なのですが 大きさがあって 鮮やかな赤の入るものは 数個しかみつけられませんでした また、拾ってはきたものの ジャスパーのように 全部が赤ではないので 結局、のちに処分した記憶があります それが、全国の色彩石のほとんどを収集した今となって チャート系の色石で、名の通ったモノが 紅加茂と、桐生の更紗ぐらいしかないことを悟り チャートはチャートで面白いな・・・ というも思いに至りました また、地元の石を 「高麗川更紗」 と名付けで紹介したいな・・・ という考えにいたりました 横8.5×高さ12×奥3.5 432g この滝石だけは、処分せずにあります 高麗の更紗は、おそらく 以下のような石の赤の鮮やかな部分が おっかけて川ズレたものと思われます
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