秩父大滝村の孔雀石 照宝石・パワーストーンの孔雀石(マラカイト)が 銅の二次鉱物なのに対し 秩父大滝村の孔雀石は、岐阜の孔雀石同様 石灰岩が変成してできた大理石です ちなみに観た目でいうと 岐阜の孔雀石が、梅花系統の石に対し 大理石らしい大理石です 硬質の石灰石が岩に混じったものを龍眼と呼びますが 大滝の孔雀は、硬質の石灰岩に色のついたものを言えます 水石としては、全くの孔雀より岩が混じったものの方が、面白味があります 秩父では、昭和30年代後半から40年代はじめの石のブームのとき 孔雀石と呼ばれるものがいくか採れたそうですが 多くが龍眼の白い石灰岩に色が少し混じった程度のもので 真に孔雀と呼べるものは この大滝の孔雀ぐらいだという話を聞いたことがあります なお、硬度が低いため、磨いても艶がでません この石は、大滝村入川上流のある沢で採れますが 原石の場所は、せいぜい長さでいうと500m 幅は4mくらいで、枯れ沢の急斜面です 一度拾いにゆくと、何度か台風がきて谷がくずれたり 大雪が積もって春先に一気にとけて谷を削ったりしないかぎり 拾いに行ってもいい物は望めません また、この孔雀石を拾いに行くには 小さな滝をいくつも越えていかなければなりません 帰りは40㌔ものリックをしょって沢を4時間下らなければならないのです 大滝の孔雀は、山火事があったとき 調査に入った営林署の職員が発見したそうで その人は拾った石を仮小屋に置いておいて 休日に内緒で村に売りにいったてたとのことです しかし、その人が亡くなると原石地が謎となり ずっとわからない状態にありました 2007年、私の知り合いが再発見したのです (私もその後なんどか採取に行っています) この方は、秩父の沢(荒川水系の源流部の沢)を全て踏破した人です 秩父の沢とひとくちにいっても1500ほどありますから 単純に計算して、1日1つ登ったとして、30年かかるわけです 私も日本200名山の150は登っています 名山に入らない山も加えると400や500は登っているでしょう しかし沢というのは登山道もなく、滑るし、危険度が違います まさに超人です(笑) こうした超人のかたが各地にいるおかげで 素敵な石が手に入るわけなのです 秩父は、石灰岩の採掘で知られていますが ここで紹介する 孔雀石、ムラサキ孔雀の他 水石部門で、紹介している 古谷系統〔古谷石(黒)、古谷系砂岩 赤古谷石、赤古谷系砂岩〕や 亀甲石も、石灰岩に由来します なお、砂や泥などと炭酸カルシウムが混ざった石灰岩の場合 詳しくは、砂質石灰岩、石灰質砂岩、泥質石灰岩、石灰質泥岩と細分化され 古谷石、亀甲石 などといった水石となる硬質の石灰岩は、こうしたもののようです 秩父盆地のシンボルである 武甲山(1304m)は 第10代崇神(すじん)天皇の時代に 知知夫国(ちちぶのくに)の 国造(くにのみやつこ・世襲で国を治める豪族)に任命され 秩父神社の祭神となっている 知知夫彦命〔ちちぶのひこのみこと・ 記紀神話に登場する思金神(おもいかねのかみ)の子孫〕の霊を 奉祀して以来、神奈備山(かんなび・神の住む山)として 山麓の人々に崇められてきたそうです また、熊襲(くまそ)征討・東国征討を行ったとされる 日本武尊〔やまとたけるのみこと・ 12代景行(けいこう)天皇皇子で、14代仲哀(ちゅうあい)天皇の父〕が 自らの甲(かぶと)を この山の岩室に奉納したという伝説をもつ山で 日本200名山に選ばれています 転写 明治期よりセメントの原料としての石灰岩の採掘が始まり 特に1940年(昭和15)に、秩父石灰工業が操業を開始して以降 山姿が変貌するほど大規模な採掘が進められました 標高も、かつては1336mあったとされます 別の資料によると武甲山の採掘は 1923年(大正12)に設立された 秩父セメント(現・秩父太平洋セメント)が西側を掘り始めて本格化した 戦後の高度経済成長期には北側も対象となり 同社と武甲鉱業、菱光石灰工業の3社に集約される大小の企業が加速させた とあります 〔秩父石灰工業は、1970年(昭和45)に 日本セメント(現在の太平洋セメント)と共同出資で 武甲鉱業株式会社を設立し、 同社に武甲鉱山の採掘を委託している〕 さらに それまでは、斜面を爆破し、崩して採掘していたそうですが 1981年(昭和56)からは、作業の安全性や効率性を図るため 3社が個別に斜面を掘るのをやめ 協調して階段状に掘り下げる方式に変わった とあります 転写 2008年度末までの総採掘量は約4億3千万トンを超え 今後見込まれる可採量は、それを上回る約5億トンとされていて ここ数年の年間採掘量(約600万トン)で計算すると あと80年以上は採掘が続くことになる とあります 南側には石灰石がないため、武甲山が消滅することはないそうですが 最終的には、北側に、長さ5km、高さ900mに及ぶ 世界にも例のない大斜面の残骸が残ることになる とされています 転写 武甲山を望む羊山公園には シバザクラのシーズン、観光客が大挙して訪れます 武甲山の石灰岩地にのみに自生する固有種 チチブイワザクラ 転写 石灰岩採掘場の拡張に伴い 自生地ごと消滅 今では限られた場所に少数の 個体が生き残っているに過ぎないとされています 長年、セメントの原料として石灰岩が取られ 今は、山容に変わってしまいましたが 昔の写真を見ると かつては、武人の甲のように 隆々と勇ましい山容を誇ったことが分かります 1950年(昭和25) 1971年(昭和46) 2010年(平成22) ちなみに、西武池袋線は、戦前に吾野まで達していて 武甲山から産出する石灰石を原料とするセメントの輸送と 沿線の観光開発を目的に 1969年(昭和44)に、西武秩父まで延長されました また、秩父鉄道〔羽生駅-三峰口駅の他 貨物路線(武川駅-熊谷貨物ターミナル駅)をもち 長瀞ライン下り(直営)や 宝登山ロープウェイ(子会社による)にも携わっている〕の 筆頭株主は、太平洋セメントで 同社の前身である秩父セメント時代から 武甲山から産出される 石灰石を運ぶ貨物輸送が盛んであるといいます 西武鉄道は、現在の池袋線系統の路線を開業した武蔵野鉄道が 新宿線系統の路線を開業していた西武鉄道(旧)を 合併して誕生しています 武蔵野鉄道は、1912年(明治45)に設立 1915年(大正4)に、池袋 - 飯能(はんのう)間を開業 1940年(昭和15)には、多摩湖鉄道を合併しています 西武鉄道(旧)は、ちょっと複雑なのですが おおざっぱにいうと 川越鉄道〔1894年(明治27)に、国分寺 - 久米川(現在の東村山) 間を開業・ 翌年、川越まで延長〕を源流とし ここに、川越電機鉄道、西武軌道、多摩鉄道が、吸収されていきました そもそも、川越鉄道は 鉄道国有法により国有化され、中央線の一部となった 甲武鉄道〔御茶ノ水 - 新宿 - 八王子〕の支線であったようです 1945年(昭和20)に、武蔵野鉄道が、西武鉄道(旧)を合併し 現在の西武鉄道となっています なお、西武グループ総帥 堤康次郎氏〔1889年(明治22)~1964年(昭和39)は 路線を、秩父からさらに軽井沢までのばすことを悲願としていたとされます また、西武秩父までの延長許可については 滝嶋総一郎氏と争っています 戦後GHQのスクラップを転売する商売で大当たし 「吉祥寺名店会館」(吉祥寺初の大型商業施設)を開業した 滝嶋総一郎という人が 埼玉銀行(現在のりそな銀行)のバックアップを得て 三鷹から小金井、小平、東大和、箱根ヶ崎、東青梅を通り 埼玉県の名栗村、御花畑(秩父市)まで達する60.32kmの 武州鉄道建設を申請し どちらに許可が下りるかを争ったわけです 滝嶋は申請直後に 「白雲観光」という姉妹会社を興して用地買収を開始します 許可が、西武に申請が下りるも その5ヵ月後に 滝嶋にも許可が下ります これは申請からわずか 2年半という異例の早さでした しかし、滝嶋が、岸内閣の運輸大臣に賄賂を送っていたことが発覚 滝嶋、運輸大臣楢橋の他 発起人として加わっていた、埼玉銀行頭取、大映の社長など 総勢18人が逮捕され、14人が起訴されるという大汚職事件となります 滝嶋には懲役2年(実刑) 楢橋、東京陸運局鉄道部管理課主査、滝嶋の部下に執行猶予つき 埼玉銀行頭取、大映の社長については無罪 の判決が出ています 開設免許は残っていたので 翌年、武州鉄道株式会社が設立されたそうですが 財界の資金提供は望めず 結局、免許は失効し、武州鉄道計画は完全に消滅したとされます 深田久弥は、日本100名山の選定にあたり その第一の条件を 人に人格があるように、山にも山格があり 眺めて立派の山であること とし その他、個性のある山を選ぶ 歴史を重んじる としました さらに追加条件として 標高は1500mを超えることとしています 但し、標高1500m以上には、例外があり 例外として選ばれたのが、開聞岳(924m)と、筑波山(877m)です 開聞岳(鹿児島県) 転写 母子島(はこじま)遊水地より筑波山 転写 武甲山も、削られることがなかったなら 当然、100名山となる資格はあった山と言えます 武甲山のセメントが、日本の経済発展の上で 重要な役割を担っきたというのはあるでしょうけど 地域住民ばかりでなく 日本人の心のよりどころにさえなる 惜しい山を失いました シバザクラのような人為的なもので 人を集めるのも悪くはないですが その雄姿を、現在にとどめていたとしたら 大きな観光資源となっていたはずです クリックすると写真が拡大表示されます 横23.5×高さ13.5×奥21 およそ6.7㎏ 横34×高さ17×奥23 およそ18.2㎏ 採取した当時の写真です 日付が入っています 横21×高さ20.5×奥11 およそ6.5㎏ 横36.5×高さ11×奥16 およそ10.5㎏ ムラサキ孔雀石 2007年に、私の知り合いが、秩父の芦ヶ久保山中で発見 20、30個拾うと飾れるものは拾い尽くしたというくらいに貴重な石です 写真のようにある程度大きさをもち、いいモノとなると 5個はでなかったはずです 横33×高さ8×奥14.5 およそ3㎏ 横31×高さ6×奥18 およそ2.5㎏ 日本100名山 尾瀬の名峰 燧(ひうち)ヶ岳より山並み遠望 山並みを遠望する景です 日本200名山 北アルプス 有明山山頂にて。下に安曇野平野 日本300名山 荒海山(あらかいさん・栃木と福島の県境。別名 太郎岳) から見る300名山 七ヶ岳(奥) 横24.5×高さ14.5×奥15 3㎏強 この石は、ムラサキ孔雀石と、糸掛石が同居した とても珍しいものです 竜宮へ向かう亀として観賞できるかな? 抽象石でもよいと思います
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