渡良瀬川 桜石 鉱物の世界では、国の天然記念物に指定されている 京都府亀岡市の桜石が有名です しかし、花が数ミリのルーペでみる世界(鉱物愛好家の世界)なので 観賞石愛好家の興味の対象ではありませんね 観賞石の対象となる桜石は、なんと言っても 西の根尾の初鹿谷の桜石 と 東の渡良瀬川の桜石 に尽きます 群馬県桐生市梅田町の「梅田ふるさとセンター」には、地元の石として 桐生川の更紗石と、渡良瀬川の桜石が展示されています 日本地質学会 会員 藤井 光男氏撰文の説明書きがあり 「サラサ石」が桐生川の銘石ならば、「桜石」は、渡良瀬川の銘石です 「サクラ(桜)石」は、今からおよそ1億年前に深さ何千メートルもの地底で 砂岩や粘板岩がマグマの熱を受けて部分的に変質したものです この変質した部分が結昌(晶)して、ちょうど桜の花びらに見える訳です したがって、「サクラ(桜)石」の学名は 「キンセイ石(菫青石)フォルンフェルス」といいます このように、真暗な地の底で咲いた1億年前の石の花弁 これが「サクラ(桜)石」なのです とあります ちなみに亀岡の桜石の花は、雲母と緑泥石の混合物といいます これは菫青石が風化して、白雲母とか緑泥石に変化したものだそうです ウキペディアに 菫青石の六角柱状結晶が分解されると その形を残したまま白雲母や緑泥石に変化する(仮晶) そして岩石が風化すると結晶が分離し、その断面が花びらのように見える とあります 渡良瀬川は、111kmを流れ、利根川の支流中で 鬼怒川、小貝(こかい)川に次いで第3位の長さを持ち 流域面積は利根川の支流中最大です 〔流域面積とは、ある河川に雨や雪が流れ込む範囲が流域で 流域面積はその面積をいう〕 栃木県日光市と群馬県沼田市との境にある皇海山(すかいさん)に源を発し 足尾山塊の水を集め南西に流れ、群馬県みどり市で南東へ向きを変え 桐生市から足利市・太田市・佐野市・館林市など おおむね群馬・栃木の県境付近(両毛地域)を東南東へ流れます 栃木県栃木市藤岡地域で、明治・大正期に開削された洪積台地を東へ抜けた後 南に向きを変え 渡良瀬遊水地に入り、巴波川(うずまがわ)、思川(おもいがわ)を併せます 茨城県と埼玉県の県境を南へ流れ 茨城県古河市と埼玉県加須市の境界で利根川に合流します 【 遊水地(遊水池)は、洪水時に氾濫した水が流入することによって 下流の洪水被害を減少させる場所 河川の氾濫地域や自然湖沼をそのまま利用する場合と 人工的に設ける場合がある ダムなどの大がかりな施設によらずに洪水調節を行い 下流の洪水被害を減少さる 渡良瀬遊水地は 茨城県古河市、栃木県栃木市・小山市・野木町 群馬県板倉町、埼玉県加須市の4県の県境にまたがる 日本最大級の遊水地で 渡良瀬川、思川、巴波川の3河川が流れ込んでいます 南北に約9キロメートル、東西に約6キロメートル 周囲の長さが約30キロメートルで 堤防や台地により囲まれていて 総貯水容量2億平方メートルだそうです 】 このような大河のどこに、桜石の原石地があるかというと 上流部の足尾町の銀山平あたりの沢と および 餅ヶ瀬川という沢のような川です ゲートのあたりの下の川で桜石が採れます なお、上高地の大正池から槍ヶ岳へと、梓川をさかのぼっていくと じつは渡良瀬の桜石と同様の石がみられます 国立公園なので採取はできませんし 飾れるようなレベルの石が出るかどうかは別です 菊花石ならお金を出せば、花の形がよくバランスもいいものは手に入りますが 渡良瀬川の桜石の場合 花がよくて観賞できるものはなかなかありません 渡良瀬の桜石は、そもそもそんなにいい花ではなく 石に一個でもみられる花があれば、それで観賞の対象とされるレベルです そんな渡良瀬川の桜石の中でも 私のコレクションの数点は特別いいです おそらく 「渡良瀬の桜石にこんないい花のものがあるんだwww」 「本やネットでもみたこともない」 と驚いていただけるかと思います クリックすると写真が拡大表示されます 横20×高8×奥16 およそ4.5㎏ 渡良瀬の桜石の場合、基本 川ずれ石です この石は、沢のほうで採れた少し粗い石ですが こんなレベルの花の渡良瀬の桜もあるのです 横6.5×高11(台込)×奥5.5 457g 桜花と梅花の競演です 横23×高さ17(台込)×奥11 およそ4.5㎏ この石は磨いてあります 山に桜花が、雪のように降っているさまが観賞できます この石と下の黄金桜は、わたしが最初に入手したので 水石、美石趣味すべての原点です 希少な黄金桜と呼ばれるものです 磨いてあります 横15×高さ9×奥7 1560g 横18.5×高さ12.5×奥8 1970g これだけ白い花はめずらしいです たいがい銀色、また白っぽい銀色が多いです 自然のままの石です 横17×高さ(台込)15.5×奥11.5 およそ4㎏ この石は、花のバランスがよく 川ずれもよくきいていて また花に鉱物が多いのかキラキラしています 渡良瀬の桜石では、超一級品と言えます 桔梗桜 横18×高さ(台込)22×奥10.5 およそ4㎏ この石は、小桜(桔梗形の小花)が全体に入る 超レアな桜石です 石原さんのサイト 「菊花石物語」 泰中コレクション https://kikkaseki.com/collection/page4.html にみられる 美山の梅花に、菊が一輪まじった素晴らしい石です この石に比べると 私の入手した桔梗花混じりの桜石は、色彩的には劣りますが 川ずれ、自然のままの石です 渡良瀬の桜は、基本、川ずれを観賞する石ですし この石は、芯の部分のけっこう硬い石なので 味わいがあります みどり市の桜石 横5.5×高さ6.5×奥1 99g 横.5×高さ5.5×奥4 133g この石は、知り合いの鉱物愛好家の方からいただいた石です 群馬県みどり市の萩平鉱山(はぎだいらこうざん) 近くの山で採れる桜石だそうです 京都府亀岡の桜石にそっくりでしょ 母岩がいいので亀岡の石よりもいいくらいです ミニなので、ちょこっと机の横に置いて楽しむ程度のものですが なかなか可愛い花です 積丹ルビーの水晶山 横47×高さ(台込)21×奥21 およそ20.5㎏(台込) 横15×高さ5.5×奥9 1825g 三重県の栗原鉱山の桜マンガン 夜桜でみれます 黒川鉱山の桜山 横16×高さ(台込)23×奥7.5 4㎏強 この石は、群馬県桐生市の黒川鉱山の桜マンガン 水石を趣味としていた人が磨いたので味があります 高麗川の桜山 横14×高さ7.5×奥4.5 672g 埼玉県の高麗川(荒川水系)の石 ふつうの川石ですが 綺麗だったので拾っておいたものです 糸魚川の桃簾石の桜山 横14×高さ10.5×奥4.5弱 897g 新潟県糸魚川の桃簾石(とうれんせき) 通称 ピンク翡翠 桃簾石でこれだけ透過のよいものは珍しいです 桃簾石は、ピンク翡翠と呼ばれてきましたが、翡翠ではありません しかしなかには、比重や透過から「翡翠」と呼べるものもあるようで この石も、桃簾石と翡翠の混合かもしれません 糸魚川の桃簾石と黒翡翠 横9.5×高さ4×奥6 558g この石は、桃簾石(ピンク翡翠)と白黒の翡翠が混じったものとして 知り合いの翡翠業者さんから購入しました 彼によると、フォッサマグナミュージアムで鑑定済みとのことです (ホントかどうかは怪しいですが、キレイな石なので買っておきました) ずっしり重い石ではあります また写真よりも実物はピンクが濃くてキレイです ちなみにフォッサマグナミュージアムというのは 糸魚川市が運営する石の博物館で 翡翠拾いをしたあと立ち寄ると 専門職員の方が一人10個まで石の鑑定をしてくれるというのがウリ 但し、専門職員が不在の場合は鑑定してくれないそうです 五城目孔雀石の桜山 横11.5×高さ(台込)8.5×奥5 647g 五城目(ごじょうめ)孔雀は30数年?ほど前に 秋田県の五城目の国有林「国有地」で発見され 期限付き(2年ほどらしい)で採掘された石で 今では採掘できない幻の石です なにしろ質のよい石です 土佐桜 横46×高さ(台込)7×奥13 およそ10㎏ この石は、建築材の土佐桜ではないですが 横倉山付近付近を流れる仁淀川(によどがわ)で拾った 石灰岩(大理石)を磨いたもののようです 色合いが素晴らしく、石灰岩としては透明度もあり 土佐桜の名にふさわしい石ではないかと思われます ちなみに建築材の「土佐桜」は かつて高知県越知町の横倉山(800m)より切り出された石灰岩で 淡いピンク色をしていることからその名が付いたといいます ハチノスサンゴやクサリサンゴ、ウミユリ、三葉虫などの化石を含むといいます なお、横倉山付近は、かつて赤道付近の海中に位置し、プレート移動で北上してきたとされます 土佐桜は、昭和30、40年代には盛んに切り出され 公共建築物の玄関の装飾用、ビルの内壁、高級住宅の門柱 灰皿、テーブル材などとして全国から引っ張りだこだったといいます 安価な外国産大理石の輸入が増えるとともに、需要は急落し 50年代に入ると採掘はストップしたといいます 高知市民図書館玄関の土佐桜 (転写) 鶴富石 (つるとみいし) 平家の落人の集落として知られる宮崎県椎葉村に「鶴富姫伝説」というものがあり その主人公 鶴富姫(つるとみひめ)より名づけられたそうです 鶴富姫伝説とは、那須大八郎と鶴富姫の恋物語とも呼ばれます およそ以下のような話です 山口県下関の壇ノ浦でなされた合戦(1185)に敗れ、平家は滅亡しますが それにより残党は散り散りばらばらとなり、各地に逃れました ある一行は、椎葉村に逃れました しかしいつしかこのことが源頼朝に知れることとなり 頼朝は、弓の名手 那須与一宗高(なすのよいちむねたか)に討伐してくるよう命じます ところが、与一はこのとき病気にかかっていたので 代わりに弟の大八郎宗久が向かいました 大八郎がそこでみたのは 源氏への敵意など捨て、畑を耕し、平和に暮らす平家の人々でした 心を打たれた大八郎は、頼朝に 「椎葉の残党はすべて討ち果たしました」と報告し この地に屋敷を建てて生活をはじめます さらに大八郎は、平家の守り神をまつる神社を建てたり 平家の人々に農業を教えたりし やがて平将門につながる鶴富という美しい平家の娘と夫婦となります 大八郎は椎葉に3年暮らしましたが やがて、帰国するよう命がくだります 鶴富姫はこのときみごもっていて 大八郎は姫に 「生まれてくる子が男子なら、私の故郷の下野(しもつけ・栃木県)によこしなさい 女の子ならこの地で育てなさい」 と言い残すと、親子の証拠の品として、刀を与え、椎葉を去りました 鶴富姫の子は女子で 成人して婿を取りましが 鶴富はこの婿に「那須」の姓を名乗らせました 椎葉村には、鶴富姫と大八郎が住んだと伝える鶴富屋敷という立派な屋敷が残って 国の重要文化財に指定されているようです 転写 また、大八郎が平家一族のために、安芸の厳島神社より分社、創建したという 椎葉厳島神社もあるそうです 鶴富石は 椎葉村の山奥でその母岩が見られるそうですが 入手した石は、県境を越えて熊本県の五木村を流れる五木川で揚石された 極めて珍しいものだそうです 全面に山桜を彷彿させるピンクがかった白色の花が咲いているのが この石の特徴とのことです 横16×高さ12×奥8 2232g
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