瀬田川石 瀬田川は、滋賀県大津市を流れる淀川水系の河川で 琵琶湖南端に発する湖水流出河川です 琵琶湖には、愛知川(えちがわ)や姉川など119本もの川が流入しますが 琵琶湖より流出するのは、唯一、瀬田川だけです 瀬田川は、京都府境までの約15kmをいい それ以降、宇治川(25km)、淀川となって大阪湾に注ぎます 宇治川が、大阪・京都府境付近で、木津川、桂川を合せて淀川となります 淀川の長さ(瀬田川・宇治川を含めた)は75kmです 但し、これは、琵琶湖南端からの長さであって 琵琶湖に流れ込む河川は、全て淀川水系の河川となるので もっとも琵琶湖より遠い 高時川〔たかときがわ・妹川(いもうとがわ)ともいう。姉川の支流〕の源流点 福井県の栃ノ木峠(淀川の源の石碑が設置)から 琵琶湖までの170kmを加えると、245kmとなり これは、日本5位の北上川(249km)に次ぎます また、琵琶湖に流入する河川や木津川などを含めた 淀川水系全体の支流の数は965本で これは、第2位の信濃川(880本)、第3位の利根川(819本)を上回り 1位となっています クリックすると拡大表示されます 滋賀県大津市の瀬田唐橋(せたのからはし)は 古代から京都と東国を結ぶ交通の要衝(ようしょう)で 京都防衛の要衝でもあり 平安時代より、幾度も戦いの舞台になりました 大友皇子と大海人皇子(おおあまのおうじ)の「壬申(じんしん)の乱」をはじめ 「寿永の乱」(源平合戦) 「承久(じょうきゅう)の乱」(後鳥羽上皇が鎌倉幕府に討伐の兵を挙げて敗北) 「建武の乱」(足利尊氏が後醍醐天皇の建武政権に反旗を翻した挙兵) などにおいて 戦乱の舞台となりました 近世に入ると一転、景勝「近江八景」の一つとして広く親しまれるようになったようです 江戸時代になると、夕日に照らされた瀬田川と瀬田唐橋の情景が 近江八景の一つ「瀬田夕照(せたせきしょう)」としてはやされるようになり 盛んに歌や絵の題材にされたそうです 転写 クリックすると写真が拡大表示されます 横27.5×高さ(台込)15.5×奥11.5 4.5㎏強 この石は、私の所有する瀬田川の石のなかで、一番のお気に入りです 色は、写真では青味がかっていますが 実際は墨黒です 真黒よりやや色が薄いのですが、そこが上品さを高め 質は、非常に肌のキメが細かく、手触りがとてもなめらかです 長崎県の水石業者 佳石庵の中路さんからいただきました 横8.5×高さ(台込)6.5×奥7 278g 段差がなんとも言えない「流」や「韻」を生んでいます 長野の月水苑の月水さんよりいただいた 小品の名品です 宇治川の石とのことでした 瀬田川が宇治川と名前を変えるので 瀬田と同じ石です 横19.5×高さ(台込)9.5×奥3 527g 蟹真黒の模様が多少残っています 色は薄いですが 質は、硬く、叩く清音を発します 横14.5×高さ14×奥8.5 2050g これは、瀬田川の蓬石(よもぎいし)で やや緑がかっています 硬質で重いです なお、この石は、地元の水石家の方がヤフオクに ヨモギ石としてだしていたものを落札しましたが 水石収集の大家であられる 本多忠三氏のブログに ≪瀬田川では、この石のように変化の多い石を何故か[蓬石]と言います≫ とあり ヨモギ石というのは、特定の質や肌や色の石ではないのかもしれません 横18.5×高さ(台込)28×奥12 およそ7㎏ この石は、瀬田川特有の真黒石で やはり梨地の痕跡を留めています 質がよく大きさもあります 菊花石・水石専門業者 天勝庵の渡辺さんよりいただきました 渡辺さんは、水石収集も長年なさっていたので ヤフオクに出品をはじめた当初は、かなりいいモノを出していました 長年、収集してきたコレクションを出していたわけですから 横18.5×高さ(台込)8.5×奥9.5 1249g この石は、四万十川の最上の質の石に似た瀬田の真黒です 硬質で肌が非常になめらかです 抽象石(心象石)として観賞します 長崎県の水石業者 佳石庵の中路さんからいただきました 銘「夏凪」 (なつなぎ) 横25×高さ(台込)5弱×奥11.5 1994g この石は、長崎県の水石業者 佳石庵の中路さんからいただきました 初夏の凪(波静かな)の海を想起させることから 「夏凪」と名付けました 島形石や、段石としても観賞できます 硬質で、質の良い真黒石です 底も自然、台座は、中路さんの作品 荒磯や、断崖をイメージさせる石はあっても 海そのものを感じさせる石は、得がたいです しかも、この石には、≪動き≫があります 私自身、海を想わせてくれるものは この石の他には、この小品↓しかありません
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