緋山酔恭「山水石美術館」 出雲めのう(花仙山ジャスパー)・興部ジャスパー


出雲めのう

(花仙山のジャスパー)



出雲めのうは

花仙山(かせんざん)で採れる「青めのう」

として世に知られています


しかし、実際にき瑪瑙でなく、ジャスパー(碧玉)です

緑色のジャスパーです



石英鉱物は、目に見えるほど大きく結晶しているもの

つまり顕晶質(けんしょうしつ)のものを「水晶」と呼びます


一方、ミクロサイズの結晶が集まった潜晶質(せんしょうしつ)のものは

「カルセドニー」(玉髄)、「瑪瑙」(アゲート)、「ジャスパー」(碧玉)に分けられ

「カルセドニー」(玉髄)と「瑪瑙」(アゲート)は、半透明なモノ

「瑪瑙」(アゲート)は、カルセドニーのなかで模様の美しいモノをいいます

これに対し、ジャスパーは不透明なモノを指します



瑪瑙は、潜晶質ゆえに、すきまがあり、染色することが可能です

瑪瑙を染色したものは結晶の密度の違いによって

写真のとおり濃淡が生まれます





転写




日本では、美しく透明度の高いジャスパーを

五色瑪瑙(佐渡の錦紅石)、羽茂瑪瑙(佐渡の羽茂五色)

出雲瑪瑙(花仙山のジャスパー)、ピリカ瑪瑙(北海道のピリカ石)

などと呼び、メノウは「美称」にもなっていますが

メノウもジャスパーもそれ自体は、世界的にはありふれた石です




赤や黄色ののジャスパーは、色や質はともあれ

全国あちこちで採れるようですが

青の良質のジャスパーの産地となるとなかなかありません



緑が混じる五色石と呼ばれるジャスパーなら

佐渡の羽茂(はもち)五色、富山県の医王(いおう)五色など

ちらほらみられますが


純粋の緑ということになると

樹木由来のウッディージャスパーである

岐阜の土岐石(ときいし)は別物として


佐渡の猿八の碧玉(一般に青玉と呼ばれる)

出雲の青めのう

北海道の興部(おこっぺ)の碧玉

しか思い当たりません



このうち佐渡の青玉は、硬さ、色味ともに落ちます


一般に「青玉」と呼ばれている

佐渡の猿八産の緑のジャスパーは

赤に比べ、多少軟らかく


現在ただ一人、佐渡で、原石から仕上げまでする

石磨き職人 高野さんのお話だと

やはり佐渡と言ったら人気は「赤玉」

とのことでした




一方、土岐石では

青(緑)がとびぬけて高価です




虫食いの土岐石の決定版と言える石です



土岐石は

錦珪化木(木化石がジャスパー化しカラフルになったもの)

の一種で

磨かずそのまま観賞するという

独自の文化をもちます





出雲めのう(花仙山のジャスパー)のいいものは

硬度、色 それなりにはいいですが

巣穴が多いという欠点を持ちます



なので、土岐石を別物と考えると

日本一の青(緑)系のジャスパーとなると

北海道の興部(おこっぺ)のジャスパーでしょう




いずれにしても

例外的に、土岐石、北海道の興部(おこっぺ)

一部の出雲めのう(花仙山のジャスパー)は

緑でも質はよいのですが


全体的にいうと、 緑は赤に比べると、軟質で

かなり質が落ちます




なお、猿八で採れる青系のジャスパーに「雷光石」があります


雷光は、緑ジャスパーの母岩(青玉)に

赤のジャスパー(赤玉)が混じるものですが


佐渡の石磨き職人 高野さんのお話だと

赤や黄色は固く、青は軟らかいので

色艶を出すのが難しいとのことでした





雷光石



このように同じ石のなかでも

赤は硬く、緑は柔らかいのです


なお、雷光は色はいいのですが

出雲めのう以上に、巣穴だらけの石です






さて、出雲めのうに 話を移します


島根県の出雲地方の玉造一帯では、弥生時代より

花仙山(かせんざん)で採れたジャスパーで勾玉が作られ

服従のしるしとして朝廷へ献上されていたといいます


花仙山周辺では、玉作りの工房跡がいくつも見つかっているそうです

花仙山のことも奈良時代(733年)に完成した「出雲国風土記」に

「玉作山」として紹介されているといいます


平安時代に入り「朝廷献上の制度」がなくなると、玉作りも途絶えます



江戸時代後期になり、若狭国(福井県)から「めのう細工」の技術が導入され

花仙山の石の加工が再開されたといいます

当時の「めのう細工」では、印鑑やかんざしなどが作れたそうです



現在では、花仙山での石の採掘は終了していて

出雲産の青めのうは高価なものとなっていますが

めのう細工自体は、外国産の石を用いて

玉造(たまづくり)温泉「いずもまがたまの里伝承館」にて

現在も続けられているとのことです










「いずもまがたまの里伝承館」(花仙山の所有者)

のホームページには


日本書紀によればスサノオノミコトが

ヤマタノオロチを退治したあと、玉造の地にさしかかります


その際、玉作湯神社(松江市玉湯町玉造)の御祭神である

櫛明玉命(クシアカルタマノミコト)に

出雲石を使用し製作した「八尺瓊勾玉」を献上しました


それが天照大神に献上され

三種の神器の一つ「八尺瓊勾玉」になったと伝えられています


そのため、玉造は三種の神器の一つ

「八尺瓊勾玉」発祥の地と言われています


とあり


スサノウノミコトのほうが、櫛明玉命(クシアカルタマノミコト)に

出雲石を献上したとあります




しかし、櫛明玉命については、日本書紀に別に


素戔嗚尊(スサノウノミコト)が天に昇るときに出迎えて

瑞八坂瓊(みつのやさかに)の曲玉まがたまを進上する

 【日本書紀 巻第一 神代上第六段 一書第二】



日神が天石窟(あめのいわや)にこもった際に

八坂瓊(やさかに)の曲玉まがたまを作る

【日本書紀 巻第一 神代上第七段 一書第三】


ともあります



すると、櫛明玉命は、天照大神(あまてらすおおみかみ)

の岩戸隠れのとき

八尺瓊曲玉(やさかにのまがたま)を作り

これをのちに、素戔嗚尊に献上した

ということになるかと思われます




ちなみに、この神は、古事記には登場せず

古事記では、玉祖命(タマノオヤノミコト)が

岩戸隠れのとき、八尺瓊曲玉を作っています


玉祖命は、天孫降臨の際

瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)につき従したがって

天降るよう命じられ、他の神々とともに地上世界にきています


玉造部(たまつくりべ)、玉祖連(たまのおやむらじ)など

宮中に従った玉作り職人たちの祖神

とあおがれています






皇位継承のしるしとされる「三種の神器」の1つ

八坂瓊勾玉(やさかにのまがたま)について調べてみると


かなり大きな勾玉らしいが、箱に入っていて不明

八坂(八尺)は大きいこと 「瓊」とは赤色の玉を意味

八坂は「弥栄」(いやさか・神道用語でますます繁栄あれ)だ

という説もある


天照大神の岩戸隠れの際に

玉祖命〔たまのおやのみこと・玉造部(たまつくりべ)の祖神〕

によって作られ

八咫鏡とともに榊につるされた


形代は作られておらず

形代の草薙剣とともに、皇居の剣璽の間に置かれている


とあります



このことから考えますと

八坂瓊勾玉は

「瓊」が赤色の玉を意味するとなると

仮に出雲の石であったとしても

青の碧玉ではないのかもしれませんね・・・





なお、「岩戸隠れ」とは


天照大神が、弟の須佐之男命(すさのおのみこと)の乱暴を恐れ

天岩屋(あまのいわや)にこもってしまう


世界が闇となり困った神々は

天照に天岩戸から出てもらうために神事を行い

また天鈿女命(あめのうずめのみこと)に卑猥(ひわい)な踊りをさせる


神々が爆笑する


天照大神が不思議に思い、天岩戸を細めに開いたとき

天手力男神(あめのたぢからおうのかみ)が

手をとって引き出したという神話です






三種の神器の他の2つは、八咫鏡(やたのかがみ)と、草薙剣 です



●  八咫鏡(やたのかがみ)


最重要の神器で、天照大神の岩戸隠れの際に

伊斯許理度売命〔いしこりどめのみこと・鏡造部(かがみつくりべ)の祖神〕

が作ったものである

天照大神が岩戸を細めに開けた時、榊(さかき)に掲げられたこの鏡に

自身が映って、興味を示していたところを

天手力男神が天照の手をとって外に引き出した



天照大神の御神体である「八咫鏡」は

天皇のもとにありましたが

10代 崇神天皇のとき、恐れ多いとして

大和の笠縫邑(かさぬいむら)に移して

皇女 豊鍬入姫命(とよすきいりひめのみこと)が仕えました



しかし、その後も天照の霊魂(みたま)が荒ぶったことから

姫が「御杖代」(みつえしろ・自らが天照の霊魂が宿る者)となり

丹波(京都中部)、大和(奈良)、木乃国(和歌山)

吉備国(岡山)を21年間巡ります



さらに11代垂仁天皇のとき、年老いた豊鍬入姫命に代わり

垂仁の皇女 倭姫命(やまとひめのみこと)が、御杖代となり

新たな鎮座の地を求め、伊賀、淡海(おうみ)、美濃、尾張を巡り


伊勢の五十鈴(いすず)川のほとりに来たとき

天照が「常世(とこよ)の浪(なみ)が重浪(しきなみ)帰(き)する国なり」と

いたく気に入ったとして神殿が建てらました

これが伊勢神宮です



ちなみに皇居の賢所(かしこどころ)に祀られている

八咫鏡は、形代(かたしろ)です

「形代」とは、「御神体」の鏡や剣に対していう言葉で

模造品のことですが、神霊が依り憑いているらしいです






●  草薙剣(くさなぎのつるぎ)


天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)ともいう

天岩戸開きの神話に由来する 八咫鏡(やたのかがみ)

八坂瓊勾玉(やさかにのまがたま)

とともに、歴代天皇の三種の神器、皇位継承の証とされる


天照の弟の須佐之男命(すさのおのみこと)が出雲で

八岐大蛇(やまたのおろち)を退治したときに

大蛇のしっぽから出てきた剣



須佐之男は、この剣を

高天原(たかまがはら・天上界)にいる姉の天照に献上している

邇邇芸命(ににぎのみこと)の天孫降臨の際、再び地上に戻る


10代 崇神天皇の時代に

草薙剣の形代(かたしろ・模造品。神霊がやどる)が造られ

本来の神剣は、伊勢神宮に移された



日本武尊(やまとたけるのみこと・第12代景行天皇の皇子で

第14代仲哀天皇の父)は

東国平定に赴く際、伊勢神宮で

叔母である倭姫命(やまとひめのみこと・第11代垂仁天皇の皇女)より

この剣を与えられる


この剣で、敵が放火した草を

なぎ払って難を免れたため

天叢雲剣から、この名に改められた


東国を平定した日本武尊は

この剣を妻 美夜受比売(みやずひめ)に預けたまま

伊吹山(岐阜・滋賀県境)の神を素手で討ち取ろうと戦うが

敗れて病身となり亡くなる


草薙剣は、伊勢宮に戻ることなく

美夜受比売と尾張氏が尾張国で祀り続けた


これが熱田神宮の起源であり

熱田神宮は、熱田大神(あつたのおおかみ)を主祭神に祀るが

熱田大神とは、草薙剣を神体とする天照大神を指すとしている



形代の草薙剣は、壇ノ浦合戦で、平時子(清盛の正室・二位の尼)が

8歳の安徳天皇を抱いて入水したときに失われ

その後、伊勢神宮より献上された剣を「草薙剣」としているという



ちなみに、このとき他の神器も海に沈むが

八坂瓊勾玉は箱に入っていたため

箱ごと浮かび上がり源氏に回収されたという


八咫鏡(形代)は、源頼朝の命を受けた漁師の岩松与三が

網で引き揚げたされる

(八坂瓊勾玉もこのとき回収されたという話もある)





以下は、松江市玉湯町玉造の

玉作湯神社(たまつくりゆじんじゃ・玉造湯神社)

の御神水の脇に置かれている

出雲めのうです


(転写)
















以下は、出雲勾玉の里伝承館に展示されている

出雲めのうです

(転写)


出雲勾玉の里伝承館は、島根県松江市玉湯町にある

勾玉やめのう等の製作・販売する会社です







クリックすると写真が拡大表示されます









2トンあるという赤の石の内部は

完全にメノウ化しているようです






75.45㎏の勾玉




ウキペディアに

出雲めのうについて、以下のようにあります



1500万年前、花仙山から噴出した溶岩が冷え固まり安山岩となり

地下の熱水の温泉成分が化学反応を起こし「めのう」ができた

特に青緑色の碧玉が、良質、豊富で「出雲石」と呼ばれた

古代、玉は装飾品ではなく、お守りや厄除の意味があり

青は自然や生命を表す色とされ

出雲製の玉は尊いものとされた


玉造りは、平安中期に途絶えたが

江戸時代末期、同じ「めのう」産地の若狭国(現福井県小浜市)

で学んだ職人が加工技術を持帰り

櫛や簪(かんざし)などの装飾品を作り復活させた


明治・大正期には、出雲地方の主要産業となったが

昭和初期には過当競争から廃業が相次ぎ

現在、技術を継承するはわずか一軒(出雲勾玉の里伝承館)である


しかし近年のパワースポットブームで、玉作りの文化は脚光を浴びている

50年ぶりに花仙山で「めのう」原石の採掘が行われた






出雲めのうは、神話や歴史が付加価値としてついていて

ブランドを形成しています


勾玉が高価で売れるため

良質の原石のほとんどが

勾玉に加工されてしまいます


このため観賞石として売られているもののほとんどは

勾玉をとったあとに残った部分で

二級品、三級品の質です



一級品の観賞石を入手するのは

なかなか困難な状態になっているわけです






クリックすると写真が拡大表示されます






横417×高さ(台込)21×奥12  およそ4㎏




























この石は、一級品の出雲めのうの観賞石を

川島さんにお願いして入手したもので

間違えなく花仙山のめのうです


その際、観賞石として、良質で大きさのある

ものは2つしかなく

1つは30万、もう1つ(この石)は、15万と言われました



30万のものも、この石と大きさはほとんど一緒です

また30万の石は、一色で濃い緑が入らず、石に巣穴も多いです


なのになぜに高いのか?


と聞いたところ

15万のこの石は、昔に採石したものなので特別に安くできる

一方、30万のほうは最近になって採れた石とのことでした







これが30万の石

















横9.5×高さ5×奥5.5  301g


この石は、花仙山ではなく

出雲の小田海岸で採取されたそうです

なお小田海岸は、貝の化石が採れることで有名です



ふつうこのくらいの大きさの赤のジャスパーなら

ヤフオクで1000円スタートでも入札されない可能性もありますが

そこは「出雲めのう」のブランド力

8千円近くまで競りました


出雲の石で勾玉を作りたいのでしょう



なお、出雲めのうは赤が少ないです

勾玉として売られているもののほとんどは

外国産のオレンジのカルセドニー(玉髄)を

加熱処理をして赤くしたものから作られるようです










興部のジャスパー



原石が枯渇し採取できなくなった石を「幻の石」と呼びますが

実際には、超一級品以外、それまで採れた石が回っていて

わりと入手できるものがほとんどです


しかし、この北海道の興部(おこっぺ)のジャスパーは

本当に「幻」というにふさわしい石です



どれくらい「幻」かというと、最初の写真の石は

亡くなられた一選堂(旭川の水石業者)の相内さんからいただきましたが

長年、石を商ってきてはじめてみたとのことでした


また、私のもとに発送される前に

一選堂さんを訪れたおなじみさんが、この石を目にして

「見たことない」「どうしても譲ってほしい」

「破損したことにして譲ってもらえないか?」と言ってきたそうです



2番目の写真の石は、その後、相内さんが

最初の石の所有者から入手した2石のうちの1石で

もう1石は前述したおなじみさんのもとにいったとのことでした




ちなみに当時、ヤフオクに大型の興部のジャスパーが出品されていました

その額80万です


しかし私は「興部」という漢字が読めず、中国の石かと思っていました

相内に指摘され、はじめて北海道の石と知ったくらいでした







興部(左上)






①は、金華 (かねはな・北見錦紅石の産出地)







横13.5×高さ(台込)33×奥13  4㎏弱





















この冊子(日本銘宝石保存協会刊行)は

昭和53年(1978年)のものですが

どの石も途方もない値段をつけています




クリックすると写真が拡大表示されます



3千300万 1千200万って

いったいどんな石!?

って話ですが



3千300万の石が、先に掲載した表紙の

羽茂五色です



わたしのみるところ

大きさが書かれていないので

評価しがたいですが

仮に20㎏として

どんなに高くてみつもっても50万ですね





9の289万ついているオコッペがこれです






















横14×高さ(台込)16.5×奥8.5  2174g




映り込みがすごい石で撮影が大変でした

バンビキャラメルやカブトビールといったホウロー看板が

映り込んでいますが、私は骨董商ではありません

こちらも趣味で集めたものです















横17×高さ(台込)38×奥17  およそ10㎏























青(緑)のジャスパーとしては

佐渡の青玉、出雲メノウ(花仙山のジャスパー)、土岐石の碧玉

がよく知られています



このうち土岐石は、ウッディージャスパーであり

磨かずにそのまま観賞するので別物とすると


佐渡の青玉は、硬さ、色味ともに落ちます



出雲メノウ(花仙山のジャスパー)のいいものは

硬度、色 それなりにはいいですが

巣穴が多いという欠点を持ちます


また、かつてはたぶん良いモノも採掘されたと思われますが

ほとんどが勾玉に加工されてしまい

(そのほうが儲かるのでしょう)

美石として観賞できるものがほとんど存在していません



なお、佐渡の青玉と同様、猿八で採れる 雷光石は

色具合は綺麗ですが

ジャスパーとしては軟らかく、巣穴がある石です



なので、観賞石(美石)としての

日本一の青系のジャスパーとなると

興部のジャスパーでしょう



興部特有の美しさは

緑に、白っぽい緑が混じることで生まれていることが言えます



その興部の中でも、この石は、色がとりわけ美しい特級品です









興部五色





横28×高さ(台込)37.5×奥15.5  およそ18.5㎏




鏡のように磨かれているので

趣味のホーロー看板が映りこんでしまっています



























の石は、石友のKさんのご厚意で譲っていただきました


Kさんから「ヤフオクで落札したのですが、この石は、オコッペでしょうか?」

という鑑定の依頼があり

写真を見てびっくりでした


Kさんが、最初に掲載したオコッペと

他3石と交換してもいいということになり

私のもとにきたわけです







以下の写真はクリックにより拡大されます



岐阜の孔雀石(赤まじり) 4.5㎏弱




羽茂五色石  横21.5  1575g

佐渡の大澤商会さんから入手



津軽錦石 五色梅花  およそ10.5㎏



オコッペと羽茂五色は

ずっと所有していようと思っていたのですが

緊急事態により手放すことになり

五色のオコッペがきたのです











最高峰のオコッペ



その後、石友のKさんが

最高峰のオコッペを2石

北海道の人から入手したので、紹介します



どちらも45㎏くらいあるそうです



写真はKさんの撮影で

石Aは、緑がめっちゃ綺麗なタイプ

もう一石は、五色です


なにしろオコッペは、緑が特別なので

すぐに分かります





石A


















台座をつけるとしたら、以下の二択かな?












石B













なかなかこれだけの五色はない

というか、ここまでの緑赤系の五色は見たことないですよ


あと、この石で見逃せないのは

黄色が鮮やかなレモンイエローであることです













Bは、台座をつけるとしたら、最初の写真一択




アタマになるの部分を磨き直しをして、キズを取るともっとよくなります





と思ったけど、この景色で台をつけるのもいいですね



あと、五色感は減りますが

下の写真の景色も捨て難い

といったところです










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