「山水石美術館」 神居古潭石(赤)、白老錦梅花石、伊豆の赤石など


各地のジャスパー

および赤石






神居古潭石 赤

(ジャスパー)



神居古潭石(かむいこたんせき)については

神居古潭石とは

を参照してください





横14.5×高さ13×奥13.5  2406g











橋がかかっています








この石は、亡くなられた一選堂(旭川の水石業者)の

相内さんからいただきました


いままで相内さんが扱った赤古潭のなかで2番目にいいものだということでした



ただ、私から言わせると、これだけ変化がある分

ジャスパーとしては、硬さがいまひとつです










神居古潭石 赤

(古潭質)





横19.5×高さ6×奥9.5  1808g













この石は、亡くなられた一選堂(旭川の水石業者)の相内さんからいただきました


そのさい「ジャスパーでなく古潭の質でかえって珍しい」と言っていました

チャートの色のいいものかもしれません










神居古潭石 赤

(古潭質)





横26×高さ14×奥19  およそ8㎏




これも古潭質(チャート系)の赤だと思います

2つ上のジャスパーの赤古潭よりも硬質です



なお、チャートも、ジャスパーほどの硬度をもちます

そもそも、チャートとは堆積岩の一種で

主成分は水晶、メノウ、ジャスパー同様の石英です

この成分を持つ放散虫・海綿動物などの動物の殻や

骨片(微化石)が海底に堆積してできた岩石と言われています










知内川 ジャスパー





横18×高さ(台込)15×奥9.5  2862g





知内川(しりうちがわ)は、知内川水系の本流で

長さ 34.7 km

アイヌ語の「チリ・オチ」(鳥・いる所)が語源とされます


松前郡福島町、大千軒岳脇の 燈明岳南東斜面に源を発し

東へと流れ、住川、綱はい川、頃内川などの支流を合わせ

津軽海峡に流入します





大千軒岳の位置








日本300名山の大千軒岳  転写





知内川


この石は、天然石大好きさんよりいただたたものです

台座もいいものです









日高の赤石





横10×高さ(台込)16.5×奥9.5  2193g




オイルは塗ってはあるものの

色は美しく

硬質で川ズレのいい石です


ジャスパーということで

北海道の水石業者の今井さんよりいただきましたが

チャート(更紗石?)かもしれません

もし、チャートでしたら最高級の色だと思います



産地については、沙流川(さるがわ)本流か

沙流川支流かは不明

いずれにしても沙流川水系の石ということです












横17.5×高さ14.5×奥8  2163g




この石も、北海道の水石業者の今井さんよりいただきました

赤の幸太郎の磨きということなので

沙流川産の石です



こちらのほうがジャスパーっぽいです


幸太郎石 については、水石に記載しています









白老錦梅花石





横36×高さ8(台込)×奥行17  2420g
















別名 白老(しらおい)赤幸太郎石と呼ばれる

ジャスパー系の石で採石の少ない希少石です

硬質で、指ではじくとキンキン音がします







北海道 白老郡白老町町









北上川 ジャスパー





横16×高さ(台込)21.5×奥12  6㎏弱




この石は、著名な石の収集家 静岡県在住の一刻爺さんこと

田旗さん(故人)からいただきました



鮮やかな赤でいい石です









最上川 ジャスパー





横17×高さ6×奥8.5  1097g







最上川上流吉野川産

ネットショップ源流さんからいただきました









最上川 赤石





横18×高さ14×奥12  2940g




最上川上流白川産


ネットショップ源流さんからいただきました

ジャスパーということでしたが

チャートなのかもしれません



紅葉の滝として見れます








最上川 五色石

(ジャスパー)





横18×高さ13×奥13  2942g







最上川上流の白川産


ネットショップ源流さんからいただきました


五色石の基本は、緑、黄色、赤です

この三色が入るものを五色石と呼びます

これに三色の中間色が混じるとさらに多色になるわけです


この三色が入るもの、五色のジャスパーというのは

あるようでなかなかありません

佐渡にしろ、医王山・小矢部川にしても

そうあるものではない希少な石です










宝坂 ジャスパー





横19.5×高さ15.5×奥6  2478g







この石は、七色のオパールが採取できることで知られる

福島県西会津町宝坂(ほうさか) 屋敷鉱山

で採れたジャスパーです



宝坂のオパールといえば、日本の最高質のオパールとして

鉱物趣味の人では知らないものはないくらい有名ですが

ジャスパーは全く聞きません


ヤフオクの写真で、赤色があまりに綺麗だったのと

誰も入札する人がいなかったので、落札してみました

2千円くらいで落札できたと思います


届いた石は、写真どおりの素晴らしい色のジャスパーでした

岩の部分が多いものの色は特級です


白い脈はオパールとのことです









伊豆の赤石





横16.5×高さ(台なし)17.5×奥13  およそ4.5㎏














伊豆の赤石は、それなりに名の通った色彩石で

ヤフオクでもみかけますが

なかなか良品が出品されてこないので

これまで入手してきませんでした



ネットで調べると、伊豆の稲取駅に

大きな赤石が飾られているようです







転 写





転 写



説明書きを読むと

チャートではなく、ジャスパーですね


昔 は、このような石が拾えたのでしょうか・・・・


なお、石の愛好家は、海ズレの赤石を拾っているようです





貴金属の買取をしているリファスタさんの

サイト https://kinkaimasu.jp/gold/column/gold_mining_and_history/

から、金と石英(水晶、ジャスパー、メノウ)との関係性が分かります



【 金の一番基本的な探し方は、川で砂金を見つけその川を上流に遡って行く事です

金の化合物というものは殆どありませんから

金だけに焦点を当てれば比較的簡単に見つける事ができます


近年、金探知機の開発が進み、昔より金の発見がしやすくなりましたが

こういったテクノロジーがまだ発展していなかった時代には

まず石英を探しそこから金を取り出す方法が取られました


これは、石英鉱脈には金が入っている事が多いためです

ではなぜ金は石英の中にあるのでしょうか


これを調べるのに行われた一つの実験があります

石英はアルミナ(酸化アルミニウム)とシリカでできていますが

この2つの成分を使って「どれくらい金が付着するのか」を調べました


まず金の溶液をつくり、それにアルミナとシリカを別々に入れました

その結果、金はシリカにはまったく付着しませんでしたが

アルミナには付着します


つまり、石英のアルミニウムの成分が金を引き寄せるのではないか

と考えられています



金はまた、温泉があるところにも多いと言われています

炭素を多く含む温泉地には金脈がある可能性が高い

という事が様々な研究からわかってきています 】


とあります






九州大学の地球資源システム工学部門のサイトにある

写真と説明を以下に記しておきます

http://www.museum.kyushu-u.ac.jp/publications/
annual_exhibitions/MINE2001/03/tenji.html






九州を代表する 菱刈鉱山の金鉱石


石英と氷長石の微細な結晶でできた鉱石で

金は黒色の縞に集まっています

この標本は3.6パーセントの金を含んだ超高品位鉱で

これから慶長小判が10枚以上作れます


金は銀と合金をつくり

エレクトラムと呼ばれる鉱物として含まれています(幅15cm)


産地:鹿児島県伊佐郡菱刈町(1988年5月採取)






伊豆の金山と言えば

土肥(とい)金山が有名で、今では観光地化されています

ウキペディアによると、明治から昭和にかけては

佐渡金山に次ぐ日本第2位の産出量があった

1965年に鉱量枯渇のため閉山した とあります







なんでも資料館には

ギネスに認定された250kgの巨大金塊が展示されているそうです



 転 写




以下は、ウキペディアの写真から












また、ウキペディアに

伊豆金山は、静岡県の伊豆地方(旧伊豆国)に散在していた金山・銀山の総称

「金山」と称されているが、実際には同地にある銀山も含んだ呼称


天正5年(1577年・安土桃山時代の初期)に土肥金山が発見され

その後文禄から慶長にかけて

湯ヶ島金山・縄地金山などが次々と発見された


当初は砂金の採取が主であったが

16世紀末には本格的な採鉱が行われるようになった



16世紀末以降、伊豆国は徳川氏の支配下に入り

江戸幕府が成立すると伊豆金山はその財源として期待された


このため、慶長11年(1606年)に伊豆金山の代官を彦坂元正から

佐渡金山で実績のあった大久保長安に代えて、開発の推進を図った


『当代記』には伊豆における金銀の産出は佐渡に劣らないと評価されたが

皮肉にも積極的な開発を進めた慶長11年を境にその生産は減少を始め



その後も生産は行われたものの

17世紀の間に急速に衰退して同世紀末にはほとんどが休山状態となった


それでも修善寺金山や毛倉野金山は明治になっても採掘が行われ

また谷川銈五郎らの尽力で近代技術を利用した旧鉱山の再開発も行われた


しかし、第二次世界大戦後は再び衰退し

昭和40年(1965年)に土肥金山

昭和46年(1971年)に縄地金山

昭和48年(1973年)に大仁(おおひと)金山が閉山となった


とあります



以下は、ウキペディアの写真から










大仁金山は、修善寺に近く

縄地金山は、河津町縄地にあったことから

かつては伊豆半島全域が金山であったことが伺えます



転 写 





稲取駅の赤石にあった 縄地(なわじ)金山については

気ままに鉱山・炭鉱めぐり

http://orange.zero.jp/zbc54213.wing/nawati-oomatu-01.html

というサイトによると



縄地金山と大松金山は下田市の北のはずれ

白浜という海岸のすぐ近くにあった

 縄地金山の方は江戸時代の初頭に発見されているようである

まもなく大久保長安が家康の命により金山奉行につく

土肥金山と同じである

そのせいかどうか縄地金山は

今も土肥金山(土肥マリン観光)の管理下に置かれている

つまり三菱のものである。閉山は1973年


とあります



 同サイトより転写








 
クリスマスには飾りつけもされるようです  転写




なお、赤石が乗っかっている土台の石は

伊豆石といって

江戸城の石垣は、そのほとんどが伊豆石によってできているといいます



 転 写




ウキペディアの「室岩洞(むろいわどう)」には

伊豆半島が海底火山であった時代の海底に降り積もった火山灰が

凝灰岩へと変化し、「伊豆石」と呼ばれる石材として重宝された

室岩洞は、江戸時代から1954年(昭和29年)頃まで

伊豆石を垣根掘りの工法を用いて石を切り出していた採石場跡であり

切り出されたものは奥側にある出口から海岸まで運び出し船で輸送をし

江戸城の石垣にも使われた。この採石場跡を整備し

「室岩洞」と銘うって1982年(昭和57年)4月に公開された

とあります


【 平場(ひらば)掘りは、下に掘り下げる掘り方で

手堀り時代の平場掘りで掘ったあとには

横線の切りあとが石壁に残っているそうです


垣根掘りは、横に掘っていく掘り方で

手堀り時代の垣根掘りで掘ったあとには

縦線の切りあとが石壁に残っているそうです 】




 ウキペディアの写真














横25×高さ17×奥16  およそ7.5㎏










伊豆半島は大昔、伊豆金山で金を産出していました

金が出るところからは赤石や黄玉石が出るそうです

佐渡金山、佐渡の赤石が有名です

伊豆半島もどこの海岸か、川か、わかりませんが赤石が産出されるそうです


この石はコレクターの方が所有していて

海から上がった石だとおっしゃっていました


引っ越しされる時にゆずって頂いた石です

ご自分で磨いていたようで

パフ磨き?をすればもっと綺麗な色になると言っていました

とりました


磨いて、艶出し剤を塗ったようで

多少、表面が白濁していたので、紙やすりで落して

古谷石のワックス(洗剤+雨ざらしで落せます)で仕上げたら


よくなりました







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