緋山酔恭「山水石美術館」 ついにくる。佐渡 蛇山五色と、緑の羽茂五色



現存するとおもわれる唯一の

真正かつ一級品

蛇山五色を入手しました



クリックすると拡大表示されます  15年とか前の高野さん撮影








今回、いただいた写真




高野さんのメモ書き



15年くらい前に高野さんから聞いたこの石の由来はこうです

≪ 錦紅石を、石のテーブルと交換くれという人がきた

石のテーブルなんか、石自体はいっぱいあって

磨けばいいだけのものなので

「あー いいよ いいよ」と言ったところ

この人が持ってきたのが

錦紅石でなく、この蛇山五色だった


もちろん蛇山の方が、全然、稀少なので

これはいいと思い、そのまま交換した ≫


蛇山五色に関する
高野さんのお話(音声)へ



以下、高野さんのお話にでてくる

笹川は、西三川砂金山の砂金堀による集落を始まりとします


高野さんが新潟大学の地理学の教授から聞いた話を解説しておくと

400万年前、海底の山であった蛇山(真野に位置する)から

西三川の方向に海底の谷になっていて

砂金を含む土砂が流れ、そこに砂金山(虎山)が出来たということかと思います






西三川砂金山について調べました


https://kouhou.niigatakenjinkai.com/?p=7512

東京新潟県人会  西三川砂金山~ 「佐渡島の金山」 世界遺産構成資産


西三川砂金山は佐渡最古の砂金山で

平安時代後期の「今昔物語集」に登場する

産金の舞台になった場所と考えられています

この地域では、山の斜面を堀り崩し、水を利用した

「大流し」といわれる方法で砂金を採っていました


安土桃山時代末期から江戸時代初期にかけて

本格的な開発が行われ、毎月砂金18枚(180両=約2.9㎏)を上納したことから

西三川砂金山の笹川地区は「笹川十八枚村」とよばれ

賑わいをみせたといわれています

しかし、次第に産出量が減少し、明治5(1872)年に閉山しました


なお、≪大流し≫とは、砂金を含む山の地層を掘り崩し、水路を引き

堤の水を一気に流し込んで余分な土石を洗い流してから

砂金を採る方法のようです





https://www.bunkeikyo.jp/landscape/landscape-326

全国文化的景観地区連絡協議会 佐渡西三川の砂金山由来の農山村景観


佐渡島の南西部、真野湾に注ぐ西三川川流域一帯には

金銀鉱床が展開しており、古くから砂金採掘が行われた結果

現在でも斜面の掘削による平坦面・被植に乏しい裸地や

地崩れ地形・独立丘陵など特異な地形が残されています。


砂金採掘の記録は平安時代に遡るが、産金量が増大した中世末期には

砂金採掘の中心地であった西三川川中流域の山間地に集落が形成され

近世に入っても、徳川幕府の財政を支えた佐渡金銀山の1つとして栄えました


江戸時代中期以降は次第に産金量が減少し

明治5年(1872)に西三川砂金山は閉山となりました

閉山後は砂金採掘跡や堤跡の田畑への転換

砂金流し用水路の農業用水路への転用といった農地開発が行われ

明治末期には現在の農山村へと産業構造の転換がほぼ完成しました



https://www.sado-goldmine.jp/about/nishimikawa/

佐渡の金山  西三川砂金山


佐渡の南西部に位置する真野地区の西三川砂金山は

12世紀末に成立したとされる「今昔物語集」に砂金採取が行われていた

との説話もある佐渡最古の砂金山です

1589(天正17)年、佐渡を支配した越後の上杉景勝は

、西三川砂金山の再開発を行いました

産出された砂金は豊臣秀吉に納められ

1593(文禄2)年頃には鉱山の安全と繁栄を願う

大山祗(おおやまつみ)神社も建てられました


16世紀後半、現在の笹川集落は、月に砂金18枚(約2.9kg)を

税として納めたことから、「笹川十八枚村」と呼ばれ

大変な賑わいを見せたといわれています


西三川では、砂金を採るために、砂金が含まれている山を掘り崩し

余分な石や土を大量の水で洗い流してから、残った砂金をゆり板で選びとる

「大流し(おおながし)」という方法がとられました

この大流しに必要な水を得るため、周辺にはいくつもの水路が作られ

最長で9km以上におよぶものもありました


江戸時代に入り、相川に佐渡奉行所が置かれると

西三川も重要な鉱山として位置付けられ

佐渡奉行所から「西三川金山役」という役人が派遣され

砂金採りが続けられましたが

しだいに産出量が減少し、1872(明治5)年には閉山となりました


そして、砂金採りを行っていた人々は生活の手段を農業に変え

末裔たちが現在もこの地に住み続けています

集落周辺には、砂金を採った山や水路などの跡もよく残されており

江戸時代の絵図とほとんど変わらない風景を見ることができます




虎丸山  転写

山肌を削り崩した跡が残っています




テーブルに加工した石が採れた

大野亀について調べました







左が大野亀  転写




大野亀とトビシマカンゾウ 転写




大野亀

あたりは50万株100万本ものトビシマカンゾウ(飛島萱草)の群生地

開花時期は5月~6月、山形県酒田市の北西にある飛島(離島)と

新潟県の佐渡島のみに分布するそうです

毎年、このトビシマカンゾウの開花に合わせて

「佐渡カンゾウ祭り」が開催されるらしいです





70㎏もあるので、後ろを少し落としてもらおうと

高野さんから、秩父の三協さんのところに、直接送ってもらいました




というのも佐渡では、大きな石を切る人が亡ってから

切れる人がいなくなっていたからです


なんでもこの方は、3千万もするドイツ製の石を切断する機械をもっていて

大きな石は、みんなその人のところへ持って行って

切ってもらっていたのだそうです


しかし御子息が跡を継がないことから、機械も処分されてしまったとのことでした


ちなみに墓石屋さんでは

銘石(ジャスパー)は硬いので切ってくれません

切ってくれたと頼んでも嫌がられます



それから、回転する刃を石に押し当てて

体重をかけて切っていくわけですが

30㎏、40㎏ぐらいな石でも

一ヵ所切断するのに1時間はかかるといいます


また、刃と石の幅が同じくらいだと、刃は丸いので

両サイド残ります


左右、半分ずつ切ろうとすると真ん中が残るので

残った部分はサンダーで(手作業)で切り落としたり

たがねで叩き落としたりしなければなりません



三協の亀田さんも、現在(2025年) 89歳

職人さんの岩瀬さんも75歳で

今年からは、企業からの仕事は断っているそうです


それでも三協さんがやってくれないと困るという人がいて

仕事が入ると岩瀬さんと石を切ったり、磨いたり、台付けをしてあげている

といいます


なお、最盛期には16人も職人さんがいたそうです




佐渡から三協さんへ荷物が届く日

石友さんの渡邊さんが、別の用事で三協さんへ行っていて

荷物の受け取りに立ちあってくれました


そのとき、渡邊さんが撮影した写真です

クリックすると拡大表示されます


佐渡から、こんな感じで送られてきたということです






石友さんとの会話(音声)へ


三協社長 亀田さん(89歳)へのインタビュー



以下、三協さんの工房での緋山の撮影















以下、クリックすると拡大表示されます













三協さんで見てもらったところ

へんなところで割れてしまう可能性があるというので

切らないことになりました


石友の渡邊さんから

≪「この石は切ってはいけない」、神様がそう言っているのでしょうね≫

という言葉をいただきました



そんなわけで、自室にそのままきました


























ついに、青(緑)の入る
一級品の羽茂を入手








86×49×16















代々議員をされていた旧家のお宅の玄関に鎮座していたお品物です

家人のお話では、佐渡の方からお亡くなりになった祖父が買い付けたそうです

原石を三つに割り、割った真ん中がこちらで

片割れは、ホテルニューオータニに運ばれたようです

四人がかりで何とか運び出しました。かなり重いですが重量は分かりません

とあります



以下、ホテルニューオータニの赤玉および五色  転写

















この155万の羽茂は、メノウ化した部分の多い羽茂で

天下の名石です


じつは、緋山はこの石の出品者から、大きな門司の梅花を買っています



高さ(台込み)70.5センチ、33㎏



その縁もあって、155万の羽茂を1/3に切って、1つ売ってもらえないか?

と交渉したこともありました  たぶん5年くらい前です


155万の羽茂の商品説明には

四人がかりで何とか運び出しました。かなり重いですが重量は分かりません

とあるので、石友さんに計算してもらいました


【 体積 16cm×86cm×49cm=67400cm3


密度は、花崗岩、大理石だと2.7g/cm3  翡翠だと3.3g/cm3

だいたい密度を2.9g/cm3くらいとすると

67400cm3×2.9g/cm3=195kg

密度2.7でも、67400cm3?2.7g/cm3=182kg

石が、真四角ではないので、もう少し少なく見積もっても

150kg程度はあると考えられます 】 とのことです





ピンクが、この石(佐渡名石協会副会長の市川さんからいただいた羽茂)の

裏側と共通性があります










61STONEさんに、切断を依頼

切断前の写真 (テープのヵ所で4つに切る)




















切断後、三協さんに

台座を依頼しました




(なお、台座をつくるには50回くらい石を底に合わせる作業が必要らしく

七里さんのところは大きな石を吊り上げる機械がないため

大きい石の台座は受けてくれません 20㎏程度までは受けてくれます)


三協社長 亀田さん(89歳)へのインタビュー




① 石友さんにいく左端 20.2㎏







4つに切った石のうち

この石だけは、後ろの方が景色よく、正面を逆転させています




② 石友さんにいく左から2番目 36.5㎏


61STONEさんの倉庫にて



三協さんの工場にて



この石も左下の黄色がメノウ化されて綺麗なので

写真のアタマが底になるように、台付けを依頼しました


一番右の④は緋山、一番左の①は石友さんと最初に決めて

緋山が70%+諸費用、石友さんが30%で購入しましたが


中間の2石の②は水晶が噛んでいて

(真ん中のクラスターは、写真では分かりにくいですが

若干、紫がかっています)

③は色彩のバランスがよく

正直、甲乙つけがたいところです




③ 緋山にくる左から3番目 28.1㎏


61STONEさんの倉庫にて



三協さんの工場にて



右下の黄色がメノウ化されて綺麗なので

写真のアタマが底になるように、台付けを依頼しました







④ 緋山にくる右端 34.6㎏


61STONEさんの倉庫にて














台座がついたら、七里さんに湿式で磨き直してもらい完成となります

なお、合計119.4㎏、およそ120㎏あったことになります




④の石の七里さんの磨きが完成しました




七里さんの撮影 インスタグラムから







④の石、届きました!!



横52×高さ(台込)33×奥16  およそ34㎏



































④の石、届きました!!



横51×高さ(台込)21.5×奥19  およそ28㎏









この石は、裏側が特に良いです



























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